昭和初期に建てられた予防医学校舎。耐震工事を施していまも使われている(撮影/今村拓馬)
昭和初期に建てられた予防医学校舎。耐震工事を施していまも使われている(撮影/今村拓馬)
今年のIMAのメンバー(撮影/今村拓馬)
今年のIMAのメンバー(撮影/今村拓馬)
毎年の活動が記録された冊子(撮影/今村拓馬)
毎年の活動が記録された冊子(撮影/今村拓馬)

【慶應義塾大学 医学部】ジャングルで医療を考える

 臨床実習と国家試験に向けた勉強で多忙を極める医学部の最終学年。慶應義塾大学では毎年3人の学生が、夏休みに学内の学生団体・国際医学研究会(IMA(アイマ))での活動に取り組む。

 南米に渡り、アマゾン川上流の無医村を回る医療チームの巡回診療船に同乗したり、先住民や地元の学生らと交流を図ったりしながら、自ら設定した研究テーマについて調査する。

 1学期の試験が終わると同時に出発し、2学期が始まる直前に帰国。他大学の医学部生は必死に勉強している時期だが、同大医学部精神・神経科学教室の三村將教授は言う。

「成績はいいが人との付き合い方や一般常識を知らない医者にはなってほしくない。学生のうちに見聞を広めてほしい」

●医学部の中の医学部

 私立の総合大学医学部として最も歴史が古く、入試の難易度でもトップを走る慶應医学部。初代医学部長は細菌学者の北里柴三郎博士で、基礎研究と臨床の連携を重視。診療科の縦割りの弊害防止にも力を注いだ。

 創設と同時に医学部だけの同窓会三四会を設立。三田会同様、関連病院や卒業生の連携は密で、医学の世界で慶應の存在感はゆるがない。

 日本医師会会長を25年務め、地域に根を張る開業医らをとりまとめた武見太郎医師も卒業生。ここには、医学の枠だけにとどまらない人材を育てようという文化がある。経済学部とならぶ慶應の看板であるだけでなく、世の中に「医学部の中の医学部」として認知されているのはそのためだ。

 38年の歴史があるIMAには、学生時代に三村教授自身も参加した。この活動で体験するのは、医療の原点。東京とは対極のジャングルでは、設備も環境も整っているわけではない。学生の身分ではできることに限界もあるが、医療活動の意義を肌で感じることができるという。

 2010年にIMAに参加した、医学部助教の前田祐介医師(30)は、

「現地の人に、あなたたちに健康指導されたので食生活の改善を試みている、また来年も来てほしいと言われたのが、今でも心に残っています」

 と話す。

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