橋本政権時代に首相秘書官を務めた江田憲司衆院議員(民進党代表代行)は、安倍首相と橋本元首相の沖縄政策への姿勢の違いをこう説明する。


「沖縄に対する特別な思いが全くない安倍首相と、政治家としてのライフワークにしていた橋本さんとでは、雲泥の差があります」

 橋本氏は、幼少時に可愛がってもらったいとこが沖縄戦で落命したこともあり、95年の事件が起きる前から沖縄への関心が強かった。普天間移設をめぐっては、沖縄の歴史や基地問題に関する本を読破した上で、沖縄県の大田昌秀知事(当時)との会談に臨んだ。橋本首相と大田知事の会談はひざ詰めで、ときには酒も酌み交わしながら、計17回、数十時間にわたった。

 沖縄の基地所在市町村長らとも対話し、首相自らが先頭に立って沖縄の基地問題に取り組むことを約束した。「やっと日本の首相が沖縄の基地問題に目を向けてくれた」とむせび泣く首長もいたという。

●強権的な首相に心閉ざした知事

 一方、安倍政権は翁長知事の就任後、約4カ月間にわたって沖縄担当相を除く閣僚との面談を避けるなど、辺野古新基地建設に反対する翁長知事をあからさまに冷遇した。この間、菅義偉官房長官は辺野古での建設作業を「粛々と進める」と繰り返し、沖縄側の反感をかった。

 2015年4月に安倍首相と翁長知事の面談が初めて実現した直後、江田議員は維新の党代表として沖縄を訪ね、翁長知事と面談した。このときの印象を江田議員はこう振り返る。
「翁長知事は就任当初、腹を割って安倍首相と対話し、ある程度のりしろを作って政府と交渉しようという思いがありました。しかし、安倍政権の強権的な姿勢と冷淡さにあきれ、一切の妥協はできないと考えるに至ったのです」

 沖縄に対する政権の強い思いは、橋本氏の後継の小渕恵三内閣でも引き継がれた。小渕氏は学生時代から沖縄戦の遺骨収集などで沖縄に足しげく通い、「沖縄は第二の選挙区、ふるさと」と公言するほど、沖縄に深い思い入れがあった。その象徴が、警備上の課題などから不利との下馬評を覆した00年のサミットの沖縄開催だ。

 97~00年、外務省から沖縄県に出向し、九州・沖縄サミットを実務面で担った山田文比古・東京外国語大学教授は、

「この20年間で、政治の世界もメディアも世代交代が進み、すっかり様変わりしてしまいました」

 としみじみ話した。

 かつては、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦や27年間にわたる米軍統治など、辛苦の歴史を負わせた沖縄に対する「負い目」をもち続けた一部の保守政治家や官僚が存在し、政府と沖縄の関係をつなぐ「安全弁」の役割を果たしてきた。しかし今、こうした構造はほぼ崩れている。

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