その優しさとはおそらく、酸いも甘いも噛み分けた大人の分別のそれではなく、「永遠の童心」の中にあったのではないかと思う。モーツァルトさながらに、目に映るすべてのものに精いっぱいの好奇心を向け、自身の細胞のすみずみに刻みつける。それらを自身の手で現実の音と為すことに、冨田さんはどこまでも無邪気であり、またワガママであり、頑固だった。

 冨田さんは驚くほど、幼い頃の音風景を詳細に記憶していた。幼少期を過ごした中国・北京では、遠くの音がすぐそこで鳴っているように聞こえる天壇公園の回廊壁に夢中になった。少年時代には、緑の深い愛知の鳳来寺山(ほうらいじさん)で聞いた「ブッポウソウ」と鳴き交わす鳥の声に心を奪われた。それらはいずれも、晩年の名作の礎となった。

 冨田さんの「永遠の童心」を象徴する存在が、ボーカロイドの初音ミクである。人間のアイドルさながらに、画面の中で歌い踊るミク。仮想の世界に閉じ込められた少女に、冨田さんは宮澤賢治の妹トシを重ねた。2012年作曲の「イーハトーヴ交響曲」で、冨田さんはミクに「出られない、出られない」と歌わせ、こう話していた。

「ミクを見ていると、賢治の世界から出られぬまま逝ったトシの哀しみをつい思ってしまう」

(朝日新聞編集委員・吉田純子)

AERA  2016年5月23日号より抜粋