「ニナガワの演出で、初めてハムレットの全体像がわかった」

 その演出を支えた信念はどの作品でも変わらなかった。2014年に手がけた劇団イキウメの代表作「太陽」の演出。同劇団を主宰、「太陽」の作者でもある前川知大さんはこう語る。

「作家への敬意がある方でした。『君が身を削って書いた本は一字一句変えない』と。そのかわり、本の解釈における『正解』にはこだわらず、ご自分のビジョンで演出する。間違いを恐れない腹のくくり方は、演出家として学ぶところが多かった」

 稽古場の空気は熱く濃かった。「灰皿を投げる」は蜷川さんの代名詞。当初は真剣味に欠ける俳優への怒りだったが、後年は、「作品と向き合う厳しさ、俳優への思いの強さを表現する『演出』だったのでは」と振り返るのは、長く取材を重ねてきた朝日新聞論説委員の山口宏子さんだ。

「稽古場は蜷川さんが主役の『劇場』。私は靴を投げるのを見ましたが、俳優やスタッフを刺激する一種のアジテーションだと感じました」

 前出の前川さんも、蜷川さんがこう話したのを覚えている。

「俺はずっと蜷川幸雄を演じているから、もうどっちが本当かわからない。家に帰ったら無口なもんだよ」

(アエラ編集部、ライター・矢内裕子)

AERA 2016年5月23日号より抜粋