「Mカルロ」を懐かしがる客が多いのか、開店前で準備中だった店員さんが快く中を案内してくれた。

「水響亭」は、ビルの入り口とは別に専用入り口を設けている。そしてそれは、「Mカルロ」の入り口でもあった。内装は変えているが、楕円の造りはそのままという店内を見ているうち、甘糟さんの記憶も蘇ってきた。

「水曜日にはディスコのヒットナンバーがかかるので『水M』。会社帰りのサラリーマンやOLが押し寄せ賑わっていた」

 甘糟さんは行っていなかったそうだが、「Mカルロ」の近くには日比谷「ラジオシティ」があり、「水曜日はMカルロ、金曜日はラジオシティ」が定番コースという人も。約束をしていなくても、「水、金ともに知り合いと顔を合わせる」ということはザラにあった。

ケバい=色っぽい。遊んでいる=こなれている、スマート。港区六本木のディスコに集う「港区人」たちの共通認識だった。しかし、そこから連想する「六本木=イケイケドンドンの派手な場所」とは違う。

「高校時代は敷居が高くて足を踏み入れられませんでした。今のように汚くないし治安が悪くもなかった」
 
70年から六本木7丁目で靴下専門店「マーガレット」を開く高田澄子さんも「マナーのある大人が集まる街。タバコのポイ捨てなんてとんでもない。素敵な飲食店や洋服屋さんがたくさんありました」と言う。

 高田さんの店の数軒先は、ディスコ「トゥーリア」の跡地。照明落下事故で死者3人を出したディスコだ。これが、六本木のディスコブームの衰退のきっかけにもなったといわれる。建物は別のものになっていたが、その前には小さな祠(ほこら)があった。

「トゥーリアで亡くなられた方のためかはわかりません。今は閉めた店のママさんが置いたと聞いています」(高田さん)

(ライター・羽根田真智)

AERA  2016年4月25日号より抜粋