「それが再び注目されるようになったのはやはり3.11の震災の時です」(高瀬さん)

 2011年3月11日、東日本を未曽有の大地震が襲った。ライフラインが切断される中、電池さえあれば動くラジオは情報の命綱となったのだ。

 ラジオはインフラとして強かっただけではない。リスナーに寄り添いコミュニティーに根付くという特質がここでも発揮された。テレビが、被災地の情報を被災地外に向けて発信したのに対し、ラジオは被災者たちに向けて必要な情報を発信したといわれる。ラジオ福島の元編成局長・大和田新さんは言う。

「ある方が非常に特殊な薬を飲まなければいけないのに、あと2日分しかない、ということが判明すると、同じ薬を持っているから提供するという方がたちまち現れました。ところがその方にはガソリンがない。そこでまたすぐに、オレが代わりに届けるよという方が名乗りを上げてくれる。ラジオがそんな連携の中継点になりました」

 震災後のラジオ福島の冷静で的確な報道は後に大きな称賛を集めることになる。

(ライター・北條一浩、小田部 仁、まつざきみわこ)
AERA  2016年3月14日号より抜粋