リスナーに寄り添い、コミュニティーに根付く…
リスナーに寄り添い、コミュニティーに根付く…

 テレビの登場以来、影が薄くなりがちだったラジオ。しかし、震災ではインフラになったりと、ラジオならではの魅力を確実に発揮し続けてきた。その歴史を振り返ると、意外な人の名前も出てくる。

 日本初のラジオ放送は、1925年3月22日9時30分、社団法人東京放送局(NHKの前身)によるもの。以来91年、「メディアの1番バッター」として、世相を反映しながら人々の暮らしに浸透していった。

「私たちの記憶にあるところでの盛り上がりというと、60年代後半から80年代前半にかけての深夜放送でしょうね。たけし軍団なんて、伝説の『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いて、放送局の玄関前に弟子入り志願者が殺到したことから始まったんですから」

 ニッポン放送出身で、自身もJ-WAVEのパーソナリティーを務めたジャーナリストの高瀬毅さんは語る。高瀬さんの入社数年後の80年代初頭は、文化放送の「吉田照美のてるてるワイド」の黄金時代。何をやっても吉田さんの番組に勝てず、連日深夜まで対策会議が続いたという。そしてある時、ニッポン放送は当時ほぼ無名だった新人を発掘し、とうとう聴取率で「てるてるワイド」を上回る。

「それが三宅裕司です。彼の劇団もブレーク前でしたが、ラジオ局のディレクターがフットワークを持っていた時代でした」

 しかし90年代半ばにインターネットが登場し、それまで若者文化を担ってきたラジオは次第にその主役の座を奪われていく。聴取率が下降し、ラジオ業界全体のCM売り上げも減少するなど、冬の時代を迎える。

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