ところが西田氏の次の社長だった佐々木則夫氏が13年1月に政府の経済財政諮問会議の民間議員となり、その後、経団連副会長にも内定した。西田氏が座れなかった経団連会長の椅子を、佐々木氏が手にする位置についたのだ。

 この頃から西田氏と佐々木氏の対立が激しくなり、東芝指名委員会の委員だった西田氏は13年6月に佐々木氏を社長から副会長という中ぶらりんの閑職に置き、2人の確執は抜き差しならぬものとなった。

 サラリーマン社会に「妬み」はつきものである。「なぜあいつが俺よりも偉くなるのか」と妬み、足を引っ張る。10年から13年半ばにかけての財界人事を巡るうごめきも「妬み」が根底にあったのではないか。もしも西田氏が経団連会長になっていれば、その後の混乱は避けられたのではないかというのが、冒頭の経済人の見立てである。

「妬み」を持ち、ライバルに負けたくないと切歯扼腕し、発奮するのは、組織の活力にもなるが、一歩間違えば東芝のように刺し合いになる。

(朝日新聞編集委員・安井孝之)

AERA  2016年2月22日号より抜粋