そして15年10月、党首として初めて迎えた総選挙。自由党は支持率3位からスタートしたものの、最後の1カ月間で急速に支持を伸ばし、与党・保守党、野党・新民主党を破って圧勝した。党にとっては、約10年ぶりの政権奪回。トルドーにとっては、父ピエールが15年間座り続けた首相のいすに、約30年ぶりに返り咲いたことになる。

●父の首相時代 仏語を公用語化

 ピエールは、戦後のカナダを形づくった「名首相」とされ、若者の支持者は当時、「トルドーマニア」と呼ばれていた。1期目は1968年から11年間、2期目は80年から4年間と、長期政権だった。英語とフランス語の2カ国語の公用語採用や多文化主義、国連における平和推進など、リベラルな政策を次々打ち出した。

 一方、70年、カナダからの分離を主張するケベック解放戦線が、政府要人を拉致する事件を起こした際は、ケベック州に軍隊を派遣するなど強硬姿勢で、危機を乗り越えた。

 06年に就任した保守党の前首相ハーパーは、財政赤字の解消、犯罪率の低下などの功績の一方で、ピエールが築いたリベラルなカナダのあり方を変えようとしていた。地球温暖化問題には懐疑的で、国際的なテロリズムと戦うため空爆を支持し、国家安全保障を重視。いわば「タカ派」的な政策を展開していた。

 対するトルドーの選挙戦のスローガンは「リアルチェンジ」と「サニーウェイズ」。後者は「北風と太陽」の太陽の意味を掛けている。中間層の底上げや若者の教育問題対策、移民・難民・マイノリティーの平等、気候変動問題への取り組みと、徹底的にリベラルな政策を訴え、父ピエールの自由党時代の復活を狙った。

 昨年10月の下院選挙は結局、カナダが「保守」を支持し続けるのか、それとも「リベラル」に戻るのかを問う国民投票だったともいえる。トルドー率いる自由党は、わずか36議席からいきなり184議席を獲得する一方、ハーパーの保守党は159議席から99議席に転落した。

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