「政治戦線」と「芸術戦線」、それぞれの闘い。そもそも、映画は運動である(※イメージ)
「政治戦線」と「芸術戦線」、それぞれの闘い。そもそも、映画は運動である(※イメージ)

 レーニンは「あらゆる芸術のなかで、われわれにとってもっとも重要なのは映画である」と言った。「政治戦線」と「芸術戦線」、それぞれの闘い。そもそも、映画は運動である。

 映画ほど大衆を煽動するのにふさわしいメディアはない。「戦艦ポチョムキン」で水兵の反乱を描いたソ連のセルゲイ・エイゼンシュテイン、ナチスドイツならベルリン・オリンピックの記録映画を撮ったレニ・リーフェンシュタール。政治体制をプロパガンダする映画は、思想の左右を問わずに存在した。

 また、社会は下部構造(経済)と上部構造(文化)からなっており、下部構造を変革する政治の革命だけではなく、文化の革命、上部構造の革命も必要である、とも言われていた。つまり街頭での武装闘争と同じくらい、芸術分野において革新的な表現を生み出すことが革命に寄与すると考えられていたのである。そして映画は、「芸術戦線」のフロントを担うと目されていた。

 1970年、ヌーヴェルヴァーグの旗手、ジャン=リュック・ゴダールはパレスチナに向かい、後に「ヒア&ゼア こことよそ」を作る。50年代に京都府学連委員長として学生運動を闘った大島渚は、「日本の夜と霧」(60年)で戦後の運動をリードした共産党を告発、その後問題作を次々と発表していく。

 大島と同世代の篠田正浩、吉田喜重、黒木和雄、東陽一といった映画監督たちは、メーデー事件や砂川闘争を知る世代で、ATG(日本アート・シアター・ギルド)などで実験的な映画を発表した。一方、東映でやくざ映画を量産した深作欣二や中島貞夫、日活ニューアクションと呼ばれる作品をつくった藤田敏八や沢田幸弘らも同世代で、プログラムピクチャーの中に新左翼的でアナーキーな反権力的心情を盛り込んだ。

 映画人たちの闘いは、今もDVDなどで見ることができる。

AERA  2015年12月7日号より抜粋