作家澤田瞳子さんさわだ・とうこ/1977年、京都市生まれ。2010年に『小鷹の天』でデビューし、第17回中山義秀文学賞受賞。『若冲』で第153回直木賞の候補に(撮影/矢内裕子)
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作家
澤田瞳子さん
さわだ・とうこ/1977年、京都市生まれ。2010年に『小鷹の天』でデビューし、第17回中山義秀文学賞受賞。『若冲』で第153回直木賞の候補に(撮影/矢内裕子)

 生誕300年を迎える伊藤若冲。京都・錦小路に店をかまえる青物問屋の主人でありながら、絵の道を極めた異能の人、というイメージが強い。小説で若冲を描いた作家・澤田瞳子さんは、どうイメージを膨らませたのか。

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 京都で生まれ育った私にとって、若冲は京都国立博物館の常設展などで目にする、身近な存在でした。

 その若冲が2000年の回顧展「没後200年 若冲」展で一気にメジャーになった。インターネット上に「生命の輝きに満ちた」といった表現ばかりがあふれるのを見て、「それってほんまか?」と思って(笑)。この十数年で若冲研究も進んだので、最新の研究成果も踏まえながら、少しでも若冲の実像に迫りたい、という気持ちになりました。

 私が立てた一つの仮説は、「生涯独身だったと言われる若冲が、実は若い頃に結婚していたのではないか」ということでした。

 若冲の史料には女性の気配がなく、「妻はいなかった」というのが定説です。根拠となるのは過去帳の記録ですが、過去帳は当人が死んだ時に寺が書くもの。妻が離縁され、戻った先で死んだ場合には、過去帳に名前は残りません。「絶対にいなかった」ことの証拠ではないのです。「妻がいたかもしれない」というのは、いわば史料から得たアイデアで、全くの嘘ではない。その「あったかもしれない」という可能性の部分を、小説にしたのです。

 というのも、錦市場で何代も続く大店の跡取りが、果たして独身で居続けられたのかと考えると、これはかなり不自然だからです。「妻がいた」可能性は否定できないな、と。 謎の多い若冲については、これからも研究が進む余地があります。10年後、20年後に、小説でなく論考でも良いので、新しい若冲像が書かれることを期待しています。

AERA 2015年10月19日号より抜粋