「メーカーや通信会社に、『お車代』と称して万券を握らせることにはじまり、女遊びまでさせる。開発のリーダーだから、そういう場にも出ました」

 いやだった。顔に出ていただろう。

 会社がそこまで必死になるのには理由もあった。この分野はバクチのような世界。1年、2年で技術が陳腐化する一方で、顧客の要求レベルは上がる。開発に多額の資金がかかり、大型案件を続けて受注しないと回らなくなっていた。会社の経営が傾いた51歳、早期退職プログラムに手を挙げた。

 2千万円の退職金のうち200万円を再就職支援会社に差し引かれた。ところが、現れるコンサルタントはパソコンが苦手な70代男性を皮切りに、担当が次々替わる。

「たらい回しなんだな」

 こっちは生活がかかっているというのに。最後は自力で企業のマッチング会に出て、いまの半導体メーカーを紹介された。

●「あなた、タフだね」

 面接が進む中で、韓国籍のボスと話した。日本語がしゃべれないというから、現場で鍛えた「ケンカ英語」でこれまでのキャリアをしゃべった。途中、何度も言葉につまって、もがいた。

「うまく言えないな」「なんて言ったらいいんだっけ」。ボスは、Bさんが日本語でこぼした言葉を聞いていた。

「……あなた、タフだね」

 日本語がしゃべれないのはブラフ。ボスは戦える人間かどうかを見ていたのだ。

 1年かかって、現職をつかんだ。課長で年収1500万円だ。

 知識や感性では、若くとがった連中にはかなわない。でも、彼らをまとめて、一人じゃできない大きな仕事はできる。その入り口に、ようやく立った。

「誇れる仕事を見つけた」

 周囲に同世代のエンジニアはいなくなった。ダマになっているバブル世代は、肩をたたかれやすいと思う。退職金の積み増しも甘くちらつく。しかし、それをつかんでしばらく居眠りなんてしたら、エンジニアにとっては致命的。現役でいたいなら、もがき続けなければならない。Bさんはこう信じている。

●リアル半沢直樹どこへ

 大企業のバブル世代はこれからどんな道を歩むのか。それを多くの人に暗示したドラマが、2013年にTBS系で放送された「半沢直樹」だ。銀行内の不正をただそうとしたバブル入行組の半沢。行内抗争を勝ち抜いたが、彼を待っていたのは子会社への「出向」だった──。

 外食事業「クリエイト・レストランツ・ホールディングス」(東京)専務の川井潤さん(52)の前職は、バンカーだ。

 87年、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入った。同期は117人いた。

 最初の赴任先、名古屋で、自動車メーカーなどに対して、

「産業融資をやるぞ!」

 と燃えていた。金融の未来はバラ色だと信じて疑わなかったし、日本の重工業を支えているのはおれたち、というエリート意識もあった。

 30代で大きな仕事を二つやった。米ロースクールに留学して得た企業法務の知識を買われ、興銀と第一勧業銀行、富士銀行の3行統合に携わったのが一つ。二つ目は、日本の金融界をむしばんだ不良債権の処理を加速させるさなか、行内の経営を改革するプロジェクトを担った。

 朝4時まで働く毎日。40代が間近になり、次の10年を考え始めた。

「役員に手が届くかどうか。でも、待てよと。あと10年、会社で上役の落ち穂拾いをやって、そのチャンスを待つのか。役員になる以上に、出向になる確率の方が高いのに」

 実際、いま同期の40人が銀行に残るが、役員になったのはうち5人。27人が出向になった。

 川井さんはそのどれでもなく、その前に転職や起業に携わった50人の一人になった。

 三菱商事の社内ベンチャーとしてクリエイト社を立ち上げる計画に誘われたのだ。相手は息子を同じ幼稚園に通わせる父親仲間だった。

「いつしか、悩みを打ち明けていたんでしょうね」

●「未舗装」でも働きたい

 こんなところに役立つ人脈があったとは。参画した当初は、銀行時代と比べて年収は下がった。けれど、自分の決断に後悔はない。

「40代も50代も、まだまだ働ける。働きたい。自分を動機づけするのは、未舗装の道を歩く好奇心だったんですよ」

 いま、経営参画した会社は、飲食店のM&Aを実施し、全ブランド760店舗、来年2月期の売上高は1千億円を超える見込みだ。

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