「あの憲法は、日本の復興のストーリー、指針でした。米国務省の極東班は、当時のリベラルな知識人で知日派の人々の集まりだった。日本人は勤勉で正直な民族だが、その誠実さが軍部に利用され、戦争のエネルギーに取り込まれたという考え方で、基本的にはよい世界をつくろうという理想があった」

 GHQの憲法チームの中に、人権問題や翻訳を担当した当時22歳の女性がいた。ベアテ・シロタ・ゴードンだ。

 戦前の日本に5歳から住み、近所の友達はみな日本人。友達の母親が、家父長制度のもと、服従的な生活を強いられているのを見て驚いていた。

 その娘で、米ニューヨークに暮らすニコル・ゴードン(61)によれば、ベアテは憲法に盛り込むべきだと作成した女性の権利の長いリストを、同僚や上司が削ろうとすると、こう反論した。

「私は、日本の女性の生活をよく知っている。いま男女の平等を憲法に書かなければ、日本は永久にそうした進歩的な権利を条文化することはないでしょう」

 このベアテに生前、鈴木と共に米国でインタビューを行った政治学者の五百旗頭真(71)は、こう振り返る。

「彼女は、草案に女性の平等と自由を長々と書き連ねたら、ケーディス(民政局の上司)に『これは憲法ではない、憲法は大原則だけを言うんだ』といってバサッと切られたというんです。それで彼女は、それではまた日本がおかしくなると、ケーディスの肩に顔を埋めて泣いたと話していました」

 日本政府との交渉でも人権の部分は激しい反対に遭ったが、ベアテの強い意思を知ったGHQ幹部も最後は擁護に回ったという。その結果、憲法における人権や女性の権利はかなり詳しく書き込まれた形で残った。

AERA  2015年9月28日号より抜粋