1990年代、夫婦別姓の運動が盛り上がった時に、勉強会などに顔を出した。小泉政権から第1次安倍政権では、運動は逆風にさらされた。民主党政権には期待したが、結局何も起こらなかった。

「政治を待っていてもダメ」

 だから、自ら原告となった。一審、敗訴。女性裁判官だったが、玉虫色の判決だった。二審、敗訴。「国民意識は高まっているが、夫婦別姓が憲法で保障されているとはいえない」という理由。裁判所が思考停止していると思った。

 もはや半分諦めていたときに、大法廷で判断が下されることを聞き、興奮した。11月の口頭弁論では、「自分の名前は一番のアイデンティティーだ」と、憲法13条、「個人の自由、尊重」について訴えるつもりだ。

 最高裁の審理で「違憲」と出ることを信じている。しかし、逆に心配もある。

「違憲判断を強調するほど、憲法そのものを法律に合うように変えてしまおうという動きが出てくるのではないか。今の動きは怖いと思っています」

AERA  2015年9月28日号より抜粋