「何人かを失った……爆弾が破裂して、ニュージャージー州から来た中尉が……助手席で真っ二つで即死……頭のいい、優しいやつだった……」

 ロドリゲスは、ハワイとドイツの基地駐屯を希望した。しかし、実際に赴任したのはテキサス州とケンタッキー州、そしてイラクだったと自嘲する。

 それなら別の「特典」を使おうと、バークレー・カレッジで、刑事司法を学び始めた。しかし、3年かかって卒業に必要な単位の5分の4を取ったところで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が道を阻んだ。

 不安、そして誰も自分を分かってくれないという寂しさから、ストリップクラブに通い、毎晩数百ドルをつぎ込んだ。貯金が尽きたため、生活用品店「ホームデポ」でアルバイトをしたが、秩序ある軍隊生活に慣れ切った彼にとって、同僚は耐え難く怠け者で、仕事の効率が悪い。仕事だけして、誰とも話さず帰宅する毎日が続いた。そして、カレッジから条件付き退校を告げられた。

 現在、復学の手続き中だが、卒業できたら、陸軍に再び入隊することを考えている。そこしか分かり合える仲間がいない。家族も友人も、「非軍人」はロドリゲスにとって、一緒にいることが寂しさにつながる。

 退役軍人のPTSDは、第2次世界大戦、ベトナム戦争の帰還兵の間でも見られた。しかし、米メディアによると、近年のイラク戦争、アフガニスタン侵攻に参加した退役軍人の間では、PTSDの罹患率が急増している。原因は定かではない。

 自殺者も異常に多い。米ネットワークテレビ局CBSは、05年に6200人以上の退役軍人が自殺したと報じた。米退役軍人省(VA)の医師のメールから明らかになったもので、このほか退役軍人病院施設内で、月に1千人が「自殺未遂」を図っているという。

 ロドリゲスはいわゆる戦闘兵ではない。しかし、「爆発物はいつどこで爆発するのか分からない。白兵戦より怖い」(ロドリゲス)という状況で、何も知らない若い兵士が、戦闘兵と同じ恐怖を味わい、「壊れて」帰還する。

AERA  2015年9月14日号より抜粋