「私はいつも、往生際に追いつめられる“ふちこ”。意図してるわけじゃないけど、それが立ち位置になってる」(撮影/朝日新聞社・竹花徹朗) (c)朝日新聞社 @@写禁
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「私はいつも、往生際に追いつめられる“ふちこ”。意図してるわけじゃないけど、それが立ち位置になってる」(撮影/朝日新聞社・竹花徹朗) (c)朝日新聞社 @@写禁

 総裁選出馬を断念した野田聖子氏。その裏側について、本人はこう話す。

*  *  *

野田:今回、私が一貫して思っていたのは、とにかく総裁選をやるべきだということです。私が強烈に覚えている無投票で当選した総裁は、森喜朗元首相。小渕恵三元首相が急に病で倒れた緊急事態だったけど、密室で決めたと言われました。支持率がいったん下がりだすと、そういう出自と正当性をめちゃくちゃ批判されました。

 ましてや今回は、世論を二分するような安保法制が問題となっている時。もし支持率がこれから悪くなったら、出自が問われるのではないですか? 私は森首相のとき、党の筆頭副幹事長として執行部の一員で、なすすべもなく支持率が下がっていったのを経験しているから、痛感しているんです。

 それに、自民党の長所は自由闊達(かったつ)な議論と多様性。2009年に野党に転落したときに、私は党の綱領を全面改定したチームの一員だったんですが、綱領に「勇気を持って自由闊達に真実を語り、協議し、決断する」政党だという文言を入れました。

 総裁選は3年に一度しかない開かれた議論をする絶好の機会。いま、自民党に対して不安が募っている中、きちんと説明する場があるのだから、そういうプロセスを経て選任されるほうが、安倍内閣が強固な基盤を維持できるんじゃないかって。

――しかし、野田氏が当初めざしていたのは、自らの出馬ではなかった。

野田:意中の人は2人いました。当然出てくれると思ったけど「出ても負けるから意味がない」と言われた。いやいや、勝ち負け以前の問題ですよ、と言ったのだけど……。私は自分の心に正直でありたかった。言うだけ番長になりたくなかった。はなから負けるとわかっている選挙になんで出るの、とも言われたけれど、政治家として、いざというときに誠実でいたいと思いました。

――そこで立候補を模索しつつも、正式な出馬宣言は、最後の「出馬断念会見」までなかった。

野田:理由は二つあって、最後の最後まで意中の人が「(私が)そこまでやるなら」と出てくれるかもしれない、と思っていたこと。もう一つは、もし私が出るなら最後まで隠密裏にやって、告示日に表明するしかないと思っていた。でなければ、推薦人になってくれる人たちを守れないと思いました。けれども、8月31日に出馬のための必要書類を、秘書が党本部に取りに行ったのをリークされてしまった。

AERA 2015年9月21日号より抜粋