いま多くの州の学習指導要領で歴史教育が義務づけられ、学生たちはナチを記録した博物館や強制収容所などを訪れる。

「私たちの世代こそが、ドイツの社会を大きく変えてきたのです」(ハイディさん)

 もっとも、国をあげての「過去の克服」の背景には、実利を求める政治家の判断もあった。

 戦後初の西独首相アデナウアーは51年、連邦議会で「ドイツ民族の名において、筆舌に尽くしがたい犯罪がなされた」と演説し、多くのユダヤ人が逃れていったイスラエルへの賠償を決めた。ドイツ国際政治安全保障研究所のムリエル・アッセブルクさんは、こう解説する。

「ドイツ製品を世界で再び受け入れてもらうには、後悔や償いを示し、特に米国のユダヤ人社会に認められる必要があった」
 
 85年、コール首相が武装親衛隊の眠る墓地を訪れてユダヤ社会などから批判を浴びるや、3日後にはワイツゼッカー大統領が歴史的な演説を行い、沈静化させた。東欧諸国や強制労働の被害者への補償を次々と打ち出し、周辺国に懸念が強かった東西ドイツの統一も成し遂げた。

 何がドイツを過去に向かわせるのか。答えはひとつではないが、確かなのは、隣国と深刻な摩擦を起こすことなく、この国が再び欧州の中核を担い始めているという事実だ。

AERA 2015年8月17日号より抜粋