ロサンゼルス郊外の街の小さな地元紙の記事が、ピュリツァー賞を受賞した。しかし、執筆した記者はすでに退職。彼はなぜ記者を辞めたのか。本人に聞いた。
門をくぐると一面、豊かな緑の芝生。ロサンゼルスの喧騒を忘れそうになる。裕福な家庭の子女が通うことで知られる南カリフォルニア大学のキャンパスだ。ロブ・クズニア氏(39)は学内で、ホロコーストなどの虐殺で生き残った人々の生の声を世界に伝える「ショーア財団」の広報担当として働く。
1年前まで、彼は地元紙デイリー・ブリーズの教育担当記者だった。貧しい地区の教育長が通常の約3倍の給与を受け取っていた事実をすっぱ抜き、学区内の腐敗を報道。FBIも動いた。そして、2015年のピュリツァー賞ローカル報道部門を受賞。発行部数6万部ちょっとの地元紙の栄誉に街は沸いた。
しかし、受賞のニュースが同新聞社に伝えられた4月20日、クズニア氏の姿はすでに社内になかった。ピュリツァー賞受賞記者が家賃を払えず、記者を辞めて広報に転身──。そんな見出しが世界を駆けめぐり、受賞以上の大ニュースに。
「新聞社の給料でも家賃は払えました。でも、払ってしまえば何も残らないカツカツの状況。40歳を前に、この先どうなるのか怖くなった」(クズニア氏)
ロサンゼルス南部のサウスベイと呼ばれる地区を1人で担当。生徒の両親が犯罪に巻き込まれて殺される事件も多かった。そんな状況を伝える300本もの記事を書き、教師たちと信頼関係を築くうち、ある学区の会計担当を名乗る人物から教育長の不正をリークしたメールが届く。これがスクープにつながった。
「25歳だったらカツカツの生活でも記者を続けていた」とクズニア氏。米国の新聞社には日本のような終身雇用制はない。年功序列の給与体系も労働組合もないのが普通だ。デイリー・ブリーズには退職金積立制度もなかった。4年間働いたクズニア氏の年収は4万ドル強(約492万円)。日本の大手新聞社の同年代の記者の約半分だ。
39歳のいま、この先給与が上がらなければ、いつか両親の自宅に転がり込まなければならない日が来ると思わずにはいられなかった。ショーア財団はクズニア氏に、デイリー・ブリーズより25%ほど高い給与を提示。転職して、やっと半年前に大学時代に借りた学費ローンを払い終えたという。
※AERA 2015年7月13日号より抜粋