2013年10月の総務会では、「特定秘密保護法」に反対した。

「拡大解釈の余地がある。基本的人権を侵してまで成立させる必要性に乏しい」と、問題点を列挙しながら法案説明者の町村信孝に迫った。この時も1人だった。

 昔は違った。1985年に自民党は「スパイ防止法案」を国会提出した。党内からも異論が噴き出し、87年には8人の自民党議員が「中央公論」に寄稿した。その中で今、現職なのは3人だけ。谷垣禎一、大島理森、そして1年生議員だった村上。「まず情報公開を」と訴えた。
 
28年前には若手が執行部に反旗を翻し、スパイ防止法を廃案に追い込むほどの活力があった。それがなぜ、ベタなぎのような物言わぬ政党になったのか。

「小選挙区制ですよ。公認、比例順位、選挙資金を握る執行部に逆らえなくなった」

 極めつきは05年の郵政選挙。民営化に反対した議員は公認されず、“刺客”を立てられた。執行部に異を唱えると政治生命が断たれる。国会議員は「歌わないカナリア」になった。

「歌を忘れたカナリアと歌を知らないカナリアとがいる」と村上は言う。当選を重ね閣僚など枢要ポストを求める議員は、人事を握る総裁に逆らえず、歌うことを忘れる。一方、小選挙区制は「チルドレン」に象徴される短命な議員を量産。「再選されること」のみに力を注ぐ若手は政策を論じず、頭数要因として扱われ、「歌を知らない」まま入れ替わる。

AERA 2015年6月8日号より抜粋