人生が「暗転」するタイミングは、思わぬところに潜んでいる。離婚、リストラ、心の病…そして、介護もそのひとつになりうる。

 妻が夜、耳鳴りを訴えた。病院に行くと、脳に腫瘍が見つかった。摘出手術は成功。しかし、右半身マヒと言語障害が残った。16年前のことだ。

 平尾隆さん(58)は当時、大阪市にある照明器具会社の係長だった。息子は小学2年と4年。深夜に奈良県橿原市の自宅に帰り、妻・雅子さん(55)の介護、炊事、洗濯…。2時間ほど寝て出勤。周囲には頼れる人もいない。60キロ近くあった体重は、50キロを切った。

 市の相談窓口に行ったが、「高齢者だけで手いっぱい」と相手にされず、上司も「男がそんなこと(介護)をやること自体、おかしい」と一蹴。当時は介護保険制度もなかった。

 2000年夏、希望しない部署に異動になったのを機に、12年近く勤めた会社を、わずかばかりの退職金を手に辞めた。その後はスーパーの店員や清掃員などの仕事を転々。収入は月10万円ほどに激減したが、住宅ローンは払い終わっていた。経済的な負担感より、気持ちの面で「とにかくしんどかった」。

 11年3月、父の死をきっかけに富山県高岡市の実家に家族で転居。金沢大学の大学院で社会福祉について学び始めた。翌12年2月には「男性介護者の会 みやび」を設立。今は平日の午前中にマンションの管理人の仕事をしながら、妻の介護を続けている。将来的には政策や制度づくりに参画し、社会の意識を変えていきたいという。

 総務省の就業構造基本調査によると、11年10月からの1年間に看護・介護で離職した人は、10万1千人に上った。高齢者の増加に伴い、働き盛りに親の介護に直面する人が増えている。平尾さんは自らの介護体験から、こうアドバイスする。

「決して会社を辞めてはいけません。仕事と介護の両立は、一見しんどい気がしますが、離職したら家の中では要介護者と一対一になり、行き詰まってくる。介護する人にとって、仕事は一種の息抜きになります」

AERA 2015年5月25日号より抜粋