昭和基地の建物や機械は、南極の極寒や暴風にも耐え得る技術を追求した集大成だ (c)朝日新聞社 @@写禁
昭和基地の建物や機械は、南極の極寒や暴風にも耐え得る技術を追求した集大成だ (c)朝日新聞社 @@写禁

 映画「南極物語」などで注目された南極観測隊。近年は周囲の関心が薄れつつあるが、その特殊な空間では、宇宙に関わる実験も行われている。

「『まだ南極観測やってたんですか?』ってたまに聞かれると、がくぜんとしますね」と、本吉洋一・極地研南極観測センター長はこぼす。

 1次隊出発は1956年11月。雨の中、数千人が観測船「宗谷」を見送った。旧ソ連のオビ号による氷海からの救出、樺太犬タロとジロの生存…年配の人々には今なお忘れ得ぬ興奮と感動が記憶に残る。オゾンホールの発見、ロケットによるオーロラ観測、世界トップを走った隕石探査、70万年前の氷の掘削…華々しい観測の成果も続いた。

 だが時代とともに南極観測への関心が薄れてきたのは否めない。短期間での成果が求められがちなご時世となり、研究費獲得にも苦労する。温暖化の影響が著しい北極に比べると、南極は変化が緩やかで、影響が表れるのには時間がかかるからだ。

 とはいえ気になる異変もある。夏の海氷の面積は広がり、昭和基地周辺も厚い。南極大陸の一部は温暖化していても、全体でははっきり見えない。「まだわからないことが多い。地球環境の指標として、南極観測の意義をアピールしたい」 と本吉センター長は言う。

次のページ