エネルギーの「革命」とまでもてはやされたシェールガス。過ぎ去りつつあるブームは、米国人の意識の確実な変化も示している。(ジャーナリスト・津山恵子)
「このシェール(頁岩<けつがん>)は、何百万年も前に形成されて、天然ガスが含まれていた層だ。破片を分析すれば、すぐにそれが分かるよ」
と、米コーネル大学石油技術博士アントニー・イングラフィア(67)。
地面と水平に横に裂けて重なった、古城の壁のように美しい表面に、雪とつららがちりばめられたシェールの崖が、深い滝つぼと真っ白に凍った川の両側に広がる。
彼が住むのはニューヨーク・マンハッタンから約350キロ北西にあるコーネル大の城下町、ニューヨーク州トンプキンズ郡イサカ(人口約3万人)。米北東部の5州にまたがる広大なマーセラス・シェール層(約480万ヘクタール)が地下に眠る。
「北部にある小川で、マッチの火をかざすと水面に火がつくところがあるのよ。天然ガスが水面に薄く漏れているのね」
同地域の環境団体「サステイナブル・トンプキンズ」のゲイ・ニコルソン会長(62)もこう語った。
●住民と業界に衝撃
こうした話は、米国の地底がいかに天然ガスに恵まれたシェール層に覆われているかを物語る。しかし、それを地面から抽出することがいかに危険なことか。イサカ周辺の住民は2009年頃から学習して行動を起こし、ニューヨーク州政府にシェール開発の禁止を働きかけた。
昨年12月17日、クオモ同州知事は、健康への懸念がある上、経済効果が見込めないとして、シェール開発で使われているフラッキング(水圧破砕)法を州全域で禁止する方針を示した。
雇用など経済効果を期待してシェール開発を支持する住民と、健康被害を理由に反対する住民。州北西部は住民が真っ二つに分かれていたが、州政府の決定は、住民とエネルギー業界に大きな衝撃を与えた。
これまでクオモ知事を板挟みにした住民の対立の中で、イサカは、一体となって「フラッキング反対」を叫んだ稀有な地域だ。
「12年にコーネル大に入学したとき、街中に“フラッキング反対”“太陽光発電にしよう”といった看板が、あちこちに立っていて、反対運動の最中だった」
コーネル大数学専攻で博士号論文を書いている運動家ジェフリー・バーグフォーク(35)はそう回想する。
●健康被害も懸念
郊外に住む獣医ミシェル・バンバーガー(59)と、夫でコーネル大分子医学教授ロバート・オズワルド(61)は09年春、ルイジアナ州でフラッキングの現場にいた家畜牛が、何かに接触してから1時間以内に死亡したという事件に関心を抱いた。
「フラッキングは安全だとシェール企業は言うけれど、牛のような大きな家畜が、呼吸困難で死ぬんです」(バンバーガー)
フラッキングは、天然ガスやオイルを採掘する新しい技術だ。地上から約3キロもの地下にあるシェール層まで井戸を掘り、そこから水平に掘った穴に、特殊な化学物質を含む大量の「フラッキング水」を高圧で流し込む。すると岩盤に毛細血管のような割れ目ができ、そこから天然ガスやオイルが取り出せる。
シェールガスの採掘現場は、原油や石炭などと違って、一般の農地にあることが多い。高圧がかかるため垂直に掘った井戸が爆発したり、採掘用の化学物質が入った水が漏れたりする危険もある。もし漏れた化学物質が水源に入れば、「汚染事故」が起きてしまう。
そうなれば、農作物、飲料水、肉やミルクまで化学物質の影響を受ける可能性が高く、人の健康にまで被害が及びかねない。夫妻は、フラッキングがすでに行われていた、隣接するペンシルベニア州などに調査に行き、その被害をつぶさに見て戦慄した。
12年、夫妻は「ガス採掘が人間と動物に及ぼす影響」という論文で、汚染の影響を受けやすい家畜のオーナーへの調査を行った結果を発表した。すると2日以内にオーストラリアの新聞が掲載し、各国の多くの媒体も数日内に論文を取り上げた。
その後、夫婦はシェール論争に揺れる街々で、講演やワークショップを開き、地域住民や農家に警鐘を鳴らし続けてきた。論文や書物も次々に発表した。
「地域での反対運動も盛り上がった結果、ニューヨーク州北西部の世論は、『フラッキングNO』にシフトしてきたと思う」(オズワルド)
シェール層は、実は、人類が触ってはいけない「聖域」だったという。前出の石油技術博士アントニー・イングラフィアも08年ごろからフラッキングについて関心を持ち、研究を進めていたが、その結論は明らかだった。
「ばかげているとしか言えない。高コストな技術を使って、リターンが異常に少ない。しかも健康に悪い。さらに気候変動がこんなに世界的に問題になっている最中、人々の裏庭や農地にフラッキングを持ち込むのは、懸念が大きすぎる」