鳥取桂(とっとり・かつら)1982年入社。中枢神経研究室室長、医薬第二研究所主任研究員んなどを歴任。2007年から社のダイバーシティ推進を統括し、10年から現職(撮影/編集部・齋藤麻紀子)
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鳥取桂(とっとり・かつら)
1982年入社。中枢神経研究室室長、医薬第二研究所主任研究員んなどを歴任。2007年から社のダイバーシティ推進を統括し、10年から現職(撮影/編集部・齋藤麻紀子)

 40代は仕事に惑う時期でもある。かつて40歳を迎えた人たちは、40代の日々をどう過ごしてきたのだろうか。大塚製薬の常務執行役員・鳥取桂(60)は、自身の40代をこう振り返った。

*  *  *

 私は40代から惑い始めました。44歳で管理職になり、48歳で研究職から全く畑違いの人事部に異動したからです。

 そのときに惑ってしまった理由のひとつは、40代になるまでの働き方にあります。私は、若いときからインディペンデントな生き方を目指していました。家庭でも、夫にただ従うのではなく、自分の意見をきちんと言う。そのためには、経済的自立が必要だと考えましたが、企業の採用担当が「女性は3年働いたら辞めてほしい」と言うことも。まだまだ女性が対等に働ける時代ではありませんでした。

 ある地元企業を退職して結婚した私に、「うちに、来てみたら?」と声をかけてくれた大塚製薬に入社しました。薬学部出身だったので、地元・徳島にある薬品の研究所に配属されました。
 
 40代になるまでは、会社にモチベートしてもらい、「うれしい」「楽しい」で過ぎていきました。例えば、第1子を妊娠したとき。仕事は辞めたくなかったので、おそるおそる上司に報告したら、「まさか、辞めるつもりじゃないだろうね?」って。また第2子妊娠中のとき、自ら研究を進める「研究員」に昇格できました。仕事も楽しいし、会社も私を必要としてくれるから、高いモチベーションを維持することができたのです。

 でも40代は、「仕事に主体性をもつ私」への転換期でした。人事部への異動は正直面食らいましたが、上司の「研究所をもっといいものにしたい」という一言で腹をくくり、管轄となる研究所のメンバーと毎年面談することにしました。

 メンバーは500人以上。自分なりに「組織をよくする方法」を考え、3年かかってやっとわかった。「答えは現場にある」んですね。私は彼らの思いを引き出して、実現する役割なのだと分かり、先が見えた気がしました。

 惑いがなくなったのは51歳のとき。会社の研修で「10年後に成し遂げたいこと」を考えたのがきっかけです。それまで私は、自ら成し遂げたいことを考えたことがなかったのです。悩み抜いて、自分のビジョンを言葉にしたら、なんだか惑いがなくなりました。何を書いたかは内緒です(笑)。
 
 40代の方には、ぜひ10年後の自分の姿を考えてみてほしい。

AERA 2014年11月3日号より抜粋