9.11テロのメモリアルデーの前夜、オバマ大統領は、ホワイトハウスでの演説で、イスラム国を「がん」と表現し「壊滅させる」と宣言した。だが、その戦略の最大の柱は、空爆の拡大であり、事実上の宣戦布告であった。9月22日、「オバマよ、あなたもか」と呟きたくなる、シリア空爆がはじまった。

 イラク戦争でブッシュが掲げた大義のうち、サダム・フセインの「大量破壊兵器の保有」や「アルカイダとの連携」は証明できなかった。にもかかわらずオバマは、イラク戦争を容認した議会決議を再び持ち出し、米国内での法的根拠にしようとしている。

 空爆の下の景色は、無人偵察機が記録するような冷たい映像とはまったく違う。戦闘員は市民を盾にする。攻撃の気配を察知すればいち早く逃れ、残された高齢者や子ども連れの女性たちが真っ先に犠牲になる。空爆とは、火事場の上からガソリンを注ぐような戦法であって、憎しみと復讐の炎が野火となって広がってゆくものだ。

 大義を掲げる戦争はあっても戦場に正義はない。頭上から投下される爆弾も交錯する弾丸にも、「正義」「自衛」の目印が付いているわけがない。巻き添えになる市民にとって、それは自分と家族の命を奪う凶器にすぎない。

 今の米国では、イラク戦争の真実を証言する「反戦イラク帰還兵の会」が草の根の運動を続けている。こんな証言がある。

「私の隊の車列は斬首され道路脇に放置された死体に何度か出くわした。通常の手順は死体を車で轢(ひ)いて進むことだが、ときには車を止めて死体と一緒に写真を撮った」("Winter Soldier",Iraq Veterans Against the War& Aaron Glantz,2008)

 ある元兵士は、戦勝記念のためにイラク人男性の顔面の皮をヘルメットに貼り付けた写真を公表し、謝罪した。空挺師団に所属した別の帰還兵は、「私たちはテロリストと戦っていると教えられた。ところが本物のテロリストは私だった」(同)と、沈痛な告白をしている。

AERA 2014年10月20日号より抜粋