斎藤環(さいとう・たまき)1961年生まれ。精神科医であり、評論家。筑波大学医学医療系 社会精神保健学教授 (c)朝日新聞社 @@写禁
斎藤環(さいとう・たまき)
1961年生まれ。精神科医であり、評論家。筑波大学医学医療系 社会精神保健学教授 (c)朝日新聞社 @@写禁

 太平洋戦争での敗戦、バブル崩壊、東日本大震災などを経ても、変わることのなかった「変化」を苦手とする日本人のメンタリティー。その理由はどこにあるのか、精神科医の斎藤環氏は次のように話す。

* * *
 日本人が「変化」を苦手としているのは、これまでそれを必要としてこなかったからでしょう。

 明治維新以降、日本社会で力を持ってきたのは「中間集団」です。個人と国家の間に位置するムラ的集団。地域や学校、企業がそれにあたり、そこで醸成されたのが「世間体」であり「同調圧力」であり、「空気」でした。

 重視されたのは、所属する集団で浮かないこと。この日本人特有のメンタリティーは、太平洋戦争での敗戦やバブルの崩壊、東日本大震災などを経ても、変わりませんでした。

 なぜこのメンタリティーは変わらないのか。それは日本人が、曲がりなりにも成功体験を持ち得たからでしょう。高度経済成長を駆動させたのは、紛れもなく企業という中間集団です。だから、いまも日本社会では企業が強い。

 私は精神科医として、多くのひきこもり患者を診ています。彼らから繰り返し聞くのが、「やりたいことが見つからない」という言葉です。「やりたいこと」とは、「主体性」と密接に結びついているものです。

 主体性の「所在」を知るための、有名な心理テストがあります。

 ある空間に風船が浮いている。次の瞬間、風船はおかしな挙動を示す。なぜかという問いかけに、日本人の多くは「周囲の空気が動いたから」と答えます。一方、欧米人は「風船の空気が抜けたから」と答える。このテストでは、風船=被験者自身。自分が動いた原因を外部に置くのか、自分そのものに置くのかで、被験者の主体性がどこにあるのかがわかる。日本と欧米では、その「所在」が異なるのです。

 このことは「欲望」の有無にも関わってきます。欲望とは、食欲、性欲など、満たされれば終わってしまう「欲求」とは異なります。達成された瞬間に次の高みを目指す終わりのないものが欲望。ゴールはありません。

 必ずしも所属する集団にとらわれず主体性をもって自らの行動を決定できるのは、欲望の強い人でしょう。仕事だろうと個人的なことだろうと、変化を起こそうとする人は必ず欲望を持っています。

 明治以降、日本人は自ら欲望を持たなくても、集団の顔色をうかがうことで生きてこられた。でも、グローバルな時代になって、これまでの生き方が通用しなくなっています。グローバリゼーションそのものの是非はともかく、日本人は変わらざるを得ないんです。

AERA 2014年9月8日号より抜粋