アートはどこまで時代を表現できるのだろうか? 自分たちが生きる時代の絵画を作ろうとした、若き芸術家たちの試み「ラファエル前派」の代表作が、いま東京に集まっている。

 科学技術や産業が劇的に変化し、交通、情報伝達などあらゆるパラダイムが近代化への道を歩み始めた19世紀、イギリスの首都ロンドンもそれまでにない都市化が進み、伝統的な人間関係や社会通念は激変していた。

 だが当時のイギリス美術界はルネサンス盛期の画家・ラファエロを規範とし、その形式だけを踏襲する保守的なものに堕していた。そんな当時のアカデミズムに反発する若者たちが集まり、1848年に結成したのが「ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood、以下PRB)」だ。

 中心となったのは、ロイヤル・アカデミーで学ぶ3人の学生、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)。グループの名前は、彼らがラファエロ以前の素直で誠実な初期ルネサンス絵画を理想としたことによる。

 激動の時代において、美術もまた新しい表現を求めるべきだという彼らの主張は、さまざまな矛盾を抱え込みながらも、激しい流れとなっていった。

 PRBの若き芸術家たちは、彼らの芸術に刺激を与える、新しいミューズを街に求めた。たとえばロセッティの「プロセルピナ」に描かれた黒髪の美女。ロセッティの盟友ウィリアム・モリスの妻となったジェイン・モリスは馬丁の娘だった。

 ジェインは背が高く、彫りの深い顔立ちであり、当時の美人の条件である金髪、卵形の顔とは異なる。彼女はロセッティとモリスとのあいだで不思議な三角関係を続けている。

 ありきたりな美女ではない、強烈な個性と魅力を持つ、こうした女性を彼らは「スタナー(唖然(あぜん)とするほどの美女)」と呼び、賞賛した。芝居小屋や街角で見初められた下層階級の女性たちにとって、彼らのモデルとなることは自ら社会へ出ていくチャンスでもあったのだ。

AERA 2014年3月31日号より抜粋