<宮崎市に避難>長澤蘭さん(31)、東生(もとき・4)福島に残してきた両親のことが気になる。「親元への距離、昔からの友人、充実した仕事。福島ではすべて理想的な暮らしがあったんです。3.11の前までは」(撮影/芥川仁)
<宮崎市に避難>
長澤蘭さん(31)、東生(もとき・4)

福島に残してきた両親のことが気になる。「親元への距離、昔からの友人、充実した仕事。福島ではすべて理想的な暮らしがあったんです。3.11の前までは」(撮影/芥川仁)

 福島の原発事故以来、放射能の影響を気にして被災地や関東から西日本に避難する人が少なくない。避難先では避難者という意識が抜けにくいため、友人ができにくいという現状もあるようだ。そうした人たちをつなぐネットワークもでき始めているが、その中でも「温度差」があるという。

 今年2月下旬、「『うみがめのたまご』~3.11ネットワーク~」が東北被災3県からの避難・移住者交流会を開催した。同ネットワーク代表の古田ひろみさん(45)によれば、福島からの人たちがこれまでつながりを持ちにくかった理由としては、福島のどの地域からの避難かにより、補償や賠償金に差があり、同郷なのに気を使いあう微妙な立場だという背景もあるという。さらに、福島からは家族移住が多く、県内の各地域に点在していたことも大きい。また、関東など首都圏からの避難者との温度差もあるという。

「当初から交流会を開いてきましたが、関東の人の参加が多く、福島の方が来にくい雰囲気があったと思います。私自身が関東からの避難者ですし。『放射能を気にする度合いが、関東からの人の方が強すぎて、ついていけない』という声も聞きました」

 古田さんが九州の他県で知り合った被災地支援の仲間が、昨秋、「漁師さんのこれまでの努力と復興をお祝いしたい気持ちで、年に一度、感謝の気持ちで被災地沿岸部のさんまを食べたい」とフェイスブックに投稿した。すると東北からの被災者からは、「いいね!」が集まったが、首都圏から放射能を逃れて九州まできた母親たちからは、警戒心が足りないとする否定的なコメントが相次いだ。

「もともと地元の放射能の値が高い地域から逃れてきた人と、わずかなベクレルでも許せずに首都圏から出てきた人とは、許容できる範囲が違う。この意識の溝にどう橋をかけていくかが、支援の課題です」(古田さん)

AERA 2014年3月17日号より抜粋