2020年、再び東京でオリンピックが開かれる。それをチャンスにできるかどうかは「自分」にかかっている(撮影/写真部・東川哲也)
2020年、再び東京でオリンピックが開かれる。それをチャンスにできるかどうかは「自分」にかかっている(撮影/写真部・東川哲也)

 作詞家やプロデューサーとして活躍する秋元康氏は、近年、人々の物事への執着心が薄くなっているのを感じていると言い、次のように話す。

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 ある日、地下鉄で若者がハードカバーの本を網棚にポンと置いて捨てていくのを見た。雑誌でも新聞でもなく、ハードカバーの本までも所有しない時代になった。そうなると、「絶対にこれがほしい」「どうしてもこうなりたい」というものがなくなる。執着心がなくなったぶん、今の日本は弱い。

 恋愛でも男女が対峙しない。デートはカフェのテーブルで横並び。男女の差異も感じず、植物性。70年代、80年代には駅の改札口や喫茶店で大ゲンカをするカップルがいたが、いまは、直接ぶつかり合わなくても、メールなどのツールが解決してくれる。

 大学も、どうしてもこの大学に入りたい、という執着はない。ほとんどが単願ではなくなっただろう。偏差値で自分のクラスターを見極め、その中でできれば一番いいところに入りたい、と思うだけだ。

 僕はそうした世代を「ウーロン茶世代」と呼んでいる。飲みに行っても、カラオケでも「とりあえずウーロン茶」。何か飲みたいものがあるわけでもない。ウーロン茶を飲みたいわけでもない。何が飲みたいのかわからないときに頼むウーロン茶。普通に無難に暮らせていればいい、という思考がはびこっている。

 個が閉鎖している、と思う。集団や組織、仲間の中にいれば、見栄を張りたい。でも、いまは社会全体が引きこもっている。日本の外に、部屋の外に、もっと面白いことがあるということに気づかない。

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