震災翌日に結婚式 被災地に嫁いだ理由とは

 今も、被災地の農業や漁業など第1次産業に携わる関係者は、原発事故の放射能による「風評被害」に苦しめられている。とりわけ福島県の風評被害は、深刻だ。そんな中、稲福由梨さん(28)は農家民宿の夢を追い、福島県中通り中部にある田村市滝根町に移住を決意した。

「夏は蛍が飛び、天の川も肉眼で見えます。水がいいので、お米も野菜も、おいしいです」

 平日は地元の小学校で管理栄養士として働き、週末は農作業を手伝う。畑では夫の和之さん(42)が特産のエゴマやブルーベリーなどを栽培し、田んぼでは黒米とうるち米を育てる。

 由梨さんは東京生まれの東京育ち。管理栄養士と調理師の免許を持ち、都内の小学校で管理栄養士として働いていたが、一方で、農業と田舎と接客も好きだった。将来は農家民宿をやりたい──。4年前、知人の紹介で、田植えのイベントで滝根町を訪れ、自然の豊かさに魅せられた。その時、後に夫となる和之さんとも出会った。東京で育った和之さんは、10年前にNPO地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」として滝根町に派遣され、そのまま移住。無農薬・無化学肥料栽培で自給的農業をして暮らしていた。和之さんの生き方と優しさに惹かれた由梨さんは、結婚し福島で暮らすことを決意した。

 そこへ、震災。結婚式は震災の翌日挙げたが、先の見えない不安から1年間、由梨さんだけ東京の実家に残った。和之さんは滝根町で農作業をしながら、土壌の放射能や空間線量を測り、生活していけると確信した。

「主人を信じ、ついていこうと決めました」

 昨年3月末に移住すると、地域の人たちが「こんな時に嫁いできてくれた」と喜んでくれた。町で収穫される農作物に含まれる放射性物質はほとんど国の基準値以下。だが、「福島産」というだけで「危険」というレッテルを貼られる。実際、農業では生活できないとやめていく人もいる。

 そうした中、2人は今夏、国の復興支援の資金援助などを受け、自宅の敷地内に加工場を建設、営業許可も取った。来年にもエゴマやブルーベリーなど地元農作物の加工・製造を始め、地元農業を発信していく拠点にする計画だ。

「もし、また地震が起きたら、ここを炊き出しなどの拠点にもしたい」(和之さん)

 由梨さんは、農業体験もできる農家民宿を10年以内にオープンさせたいと話す。決して楽な道のりではない。しかし、生きたい場所が、働く力をくれる。

「地域を盛り上げたい。農業の魅力も発信したい。やむを得ず農業を諦めていった仲間たちの分も、頑張りたいです」

AERA 2013年10月21日号

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