ダイソーの矢野博丈社長。夜逃げ同然で上京し職を転々とするも、一代でダイソーを築き上げた。座右の銘は「分相応」。「ネガティブすぎる社長」としても有名だ(撮影/村上宗一郎)
ダイソーの矢野博丈社長。夜逃げ同然で上京し職を転々とするも、一代でダイソーを築き上げた。座右の銘は「分相応」。「ネガティブすぎる社長」としても有名だ(撮影/村上宗一郎)

 自信がない。いつも後悔ばかりして、くよくよ悩んでいる。そんな、仕事ではマイナスに働きそうな「ネガティブ思考」だが、実はこれにより成功を収めている著名人もいる。

「破滅の哲学」で、一代で売上高3500億円企業を築き上げたのは、100円ショップ最大手のダイソーを展開する「大創産業」(本社・広島県東広島市)の社長、矢野博丈(ひろたけ)さん(70)だ。

 1972年に大創産業の前身となる矢野商店を創業。87年に「100円SHOPダイソー」の店舗展開を開始。今や国内に約2700店舗、海外25カ国・地域に700店舗近くを展開するまでになった。

 時代の寵児ながら、「わし自身、何もないんですよ、中身が」「物事は、ずっとうまくいくことはありえないんですよ」と、否定的な言葉を繰り返し、「人間でも会社でも、いつかは壊れるようにできとるんです」と、「衰亡論」まで唱える。

 だが、この「哲学」が矢野さんの原動力でもある。転職9回、夜逃げ1回、火事1回──。矢野さんは、人生でこれだけ経験している。

 大学を卒業後、妻の実家の広島でハマチの養殖を手がけたが事業に行き詰まり、借金を抱え妻と幼子を連れ夜逃げ。東京に出ると、ちり紙交換や百科事典のセールスマンなど職を転々としたがどれもうまくいかない。70年代初め、義兄のボウリング場を手伝うため広島に戻った。その時に夫婦で始めた副業が移動販売の雑貨商「矢野商店」だった。が、商品の保管倉庫が火事になり自宅も半焼。商売ができなくなって生活にも困り、広島市内のスーパーに移動店舗のコーナーを持たせてくれと頼んだのが、今日の発展につながった。

「だから、物事には発生があって成長があり、いつかは衰退するという哲学を持っとるんよ」

 しかし、その裏で「いつつぶれるかわからない」という恐怖心を持ち続け、食べるために必死にしがみついた。
 
 70年代後半の第2次オイルショック後の狂乱物価の時には同業者は次々と撤退していったが、「能力がないけえ」と仕方なしに目の前の仕事を一生懸命こなしたという。

「ネガティブというのはようわからん。だけど、悪い流れにのみ込まれんよう、いつも恐れおののいておらんといけんのです」

AERA  2013年8月26日号