人々は安全でおいしい水を求めているが、それは本当においしい水なのか。身近な水を見つめることは大事では(撮影/写真部・大嶋千尋)
人々は安全でおいしい水を求めているが、それは本当においしい水なのか。身近な水を見つめることは大事では(撮影/写真部・大嶋千尋)

 麻布大学生命・環境科学部の早川哲夫教授は、貯水槽内で長期間滞留した水の中にいる細菌に注目している。

 それは従属栄養細菌という聞き慣れない細菌だ。

「これまで、水中の細菌に対する考え方は、『塩素に対する抵抗力が比較的強い大腸菌さえ死滅した状態になれば、赤痢菌やコレラ菌など他の病原菌は存在しない』というのが前提でした。従属栄養細菌は『無視してよい』とされてきました。が、私はそこに疑問を持っています」(早川氏)

◆塩素に強い耐性

 人間に害を及ぼすことで知られる細菌のほとんどは、栄養豊富な人間に感染して、体温の36度前後で急激に増殖して、体調を悪化させる。

 従属栄養細菌は、有機物を比較的低濃度に含む培地を用いて低温で長時間培養したとき、培地に集落を形成するすべての細菌のことだ。厳しい環境に強く、中には塩素に強い耐性を持つものもいるという。

「健常者なら、体内に従属栄養細菌が入っても大丈夫かもしれませんが、問題はお年寄りなどの健康弱者です」(早川氏)

 早川氏は2011年度から、厚生労働省の補助金を受けて、貯水槽内で水道水が長期間滞留することによる水質悪化の研究を進めている。昨年度は、学校20カ所、給食センター1カ所、高齢者施設7カ所、病院1カ所の貯水槽内を調べた。すると、すべての水槽内の水から、従属栄養細菌が検出された。

 「遺伝子検査をしたところ、細菌のデータベースには存在しない、新種の可能性のある細菌が2株見つかりました。従属栄養細菌は、ほとんど研究されていない分野で、研究論文の数も少ない。ただ、海外の論文には、基礎疾患のある人が、従属栄養細菌によって重症化し、敗血症や菌血症、肺炎になったという報告もあります」。早川氏は、こう指摘する。
 1990年にスペインで発表された、「アシネトバクター(従属栄養細菌の一種)によって引き起こされた菌血症の臨床的重要性」という論文では、「アシネトバクターが死亡率を高めているので(カテーテルを清潔にする等の)対策が必要である」と報告されているという。

 現時点で、その毒性は明確ではないが、海外の論文では、免疫が低下した人に感染症を引き起こす「日和見感染病原体」とも指摘されている。

 従属栄養細菌は、貯水槽内の水が長期間滞留して塩素濃度が低下したことで、その環境に定着したと、早川氏は考えている。東京都水道局の調査でも、滞留時間が長くなるに従い、残留塩素が消費されている。

◆貯水槽の水が長期滞留

 マンションなどの高層建物は、多くが貯水槽方式を採用している。水道事業者(主に市町村の水道局)から供給された水をいったん受水槽(地下や地上へ設置)に入れて、加圧ポンプで屋上の高架(高置)水槽へ送り、そこから各戸へ自然流下させる。

 貯水槽内の水が長期間滞留しているのは、建築時と比べて、節水が進んだことなどで使用水量が下がり、結果として水槽のタンクの容量が過大となったためだ。

 従属栄養細菌を研究している数少ない医学研究者の一人が、北里大学医学部微生物学の笹原武志講師(59)だ。環境感染学が専門で病院内の環境改善や、院内感染原因菌の環境調査を行ってきた。

 笹原氏によると、従属栄養細菌によって健康リスクが生じる可能性があるのは、持病がある老人やがん患者、自己免疫疾患患者など免疫力が低下している人たち。肺炎や下痢、敗血症などを引き起こす場合もあるという。院内感染の原因菌として確認された例もある。

 そして、従属栄養細菌が、身の回りに存在していることを認識することの重要性を訴える。

「従属栄養細菌には多くの種類があります。熱いお湯や乾燥したところにはいませんが、水が滞留する環境さえあれば、あらゆるところに棲息していると考えて日常生活を送るべきです」(笹原氏)

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