朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)1982年生まれ。2007年に東京大学法学部を卒業し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。10年8月、学生時代に起業したネイキッドテクノロジーに復帰し、同年10月から同社代表。11年10月、同社がミクシィに買収されたのを機にミクシィ入社。13年6月25日付でミクシィ社長に就任する(撮影/写真部・工藤隆太郎)
朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)
1982年生まれ。2007年に東京大学法学部を卒業し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。10年8月、学生時代に起業したネイキッドテクノロジーに復帰し、同年10月から同社代表。11年10月、同社がミクシィに買収されたのを機にミクシィ入社。13年6月25日付でミクシィ社長に就任する(撮影/写真部・工藤隆太郎)

 ミクシィの新社長となった朝倉祐介氏。東京大学法学部を卒業し、30歳で上場企業の社長に──。華麗すぎる経歴だが、ここまでの道のりは挫折の連続だった。

 中学時代、本気で競馬の騎手を目指した。「中2病の激しいやつにかかっていた」と振り返るが、行動力は並外れていた。

 習い始めていた乗馬の腕前はかなりのもの。だが、色弱のため日本では競馬学校に入れないことがわかった。そこで、オーストラリアの学校を自分で見つけてきた。英語で電話をかけ、FAXを送り、入学を決めた。単身で渡豪し、朝から晩まで座学や研修の日々を送った。

 ところが身長が170センチを超え、減量も限界に達した。夢をあきらめ、1年で帰国せざるを得なかった。北海道の牧場に就職し、調教助手として再スタートを切った。ここで今度は、バイク事故に遭う。左足を粉砕骨折。リハビリ生活が始まったのを機に、大学進学を視野に入れて専門学校に通った。

「何歳でジャパンカップに勝ち、いつ凱旋門賞に挑戦するか、すべて計画を立てていた。そこまで考えていたことがダメになり、しかも事故に遭い、本当にきつかった。悩んで悩んで、自分のなかで意思決定していった」

 東大に入学した直後から、「自分の力で食っていく」ことへのこだわりを強め、卒業後の進路を考え始めた。その延長線で在学中、ITベンチャー「ネイキッドテクノロジー」を起こした。だが同社は資金調達を繰り返した結果、「ベンチャーキャピタルのジョイントベンチャー」のようになっていた。

「働くインセンティブも下がるし、じり貧の状態でした。自分たちが再び自由に動けるように、また株主のためにも、会社を売却したほうがいいと判断した」

 売却先を探していて出合ったのがミクシィだった。

AERA 2013年6月17日号