昨年の苦杯にもめげず、ドラフトで「もっとも欲しい選手」にこだわり続けた北海道日本ハムファイターズは、どうやって大谷翔平(18)の心を溶かしたのか。ノンフィクションライターの中村計氏は次のように話す。
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日本ハムGM・山田正雄の忘れられないひと言がある。
「強いて言えば……勇気かな」
昨年秋のことだ。日本ハムはドラフト会議で、巨人との競合の末、暗に巨人を逆指名していた東海大学の菅野智之の交渉権を獲得。東海大サイドとは、まだ交渉段階にあった。その頃、スポーツ紙をはじめとする活字メディアは、日本ハムが菅野指名に踏み切ったさまざまな根拠を書き立てていた。だが、どれもこじつけの域を出ず、いい大人がそんな頼りない理由で大事な決断をするはずがないと思っていた。
だから、山田に単刀直入に尋ねたのだ。30分ばかり雑談をし、タイミングを十分見計らった上で。「世間で言われているような勝算はあったのですか」と。すると、笑って否定した。
「ないない。全然ないよ」
そして、冒頭のように続けたのだ。とても20年以上もスカウトの世界にいる人物の言葉には思えなかった。だが、そのときの空気感、山田の口調から察し、言葉に嘘はないと感じた。
今回、日本ハムが「メジャー挑戦」を表明していた花巻東高校の大谷翔平を1位指名したのも、臆測が飛び交ったが、最後はそこだったのではないか。
※AERA 2012年12月24日号