さんざん気を持たせた石原新党がついに誕生する。「西の橋下」とともに第三極の大渦を政界に巻き起こすのか。

「今日をもって都知事を辞職する。これから国会にもう一回復帰しようと思う。仲間と新党を立ち上げる」

 石原慎太郎東京都知事は、記者会見場に現れると、スーツの内ポケットから辞表を取り出して見せた。1999年から13年半続いた石原都政は「国政復帰」の野望の下に突如終幕した。

 自ら新党の代表に就き、次期衆院選には比例区で立候補するという。会見では、「硬直した中央官僚の支配制度を変える」「命あるうちに最後のご奉公をする」と石原節を連発した。

 石原新党の旗揚げ話は、ここ2年ほどの間に何度も浮上しては消えた。今年1月にも、平沼氏や、国民新党の亀井静香代表(当時)と結成に合意していた。

「当時は、新党の綱領もほぼまとまり、石原氏が筆を入れるのを待つばかりだった。石原新党の名前だって、実は『日本維新の会』『東京維新の会』などで絞り込んでいたんですよ」

 こう明かすのは、石原氏の元盟友、村上正邦・元自民党参院議員(80)だ。石原氏らとは、新党づくりのために何度も顔を合わせてきた。しかし、新聞報道で構想が明らかになると、石原氏は「どうして話が漏れるんだ」と怒りをあらわにし、村上氏にも連絡しなくなったという。

 それが、なぜ、今なのか。自ら火をつけた尖閣諸島の購入計画は野田政権の「国有化」で、中国との対立を激化させたまま終結。長男の伸晃氏(55)も自民党総裁選に「明智光秀」などと評されて敗北。近い将来の首相の目はほぼ消えた。さらには五輪招致も勝てるかどうかわからない、という中で、いよいよ「新党結成」以外に、することがなくなってしまった、ということだろう。

「新党をつくると言ってつくらなかった『オオカミ老年』だ。橋下氏との連携にこだわっているが、維新と政策が合うのか。議員もそんなに集まらないんじゃないか」

 村上氏はこう突き放す。

AERA 2012年11月5日号