江戸時代初期、初めて日本独自の暦を作り上げた渋川春海。作家の冲方丁は、この人を書きたくて、腕を磨いてきたのかもしれない。

 春海との「出会い」は、高校時代にさかのぼる。大手建設会社のエンジニアだった父の転勤で、14歳まで海外で暮らした。そこで、子どもながらに「日本人とは何か」に向き合う。帰国してふとカレンダーを見て、衝撃を受けた。クリスマスと仏滅が一緒に載っていた。

「感動しました。こういうふうに二つを両立できる国なんだと。カレンダーを通して日本人が見えてくるんじゃないかと、その時に思いました」

 暦を調べ始め、春海を知り、その人生にひかれていった。だが、時代背景や複雑な人間関係を含めて小説に仕立て上げる実力が、当時の自分にはなかった。

 大学在学中にライトノベルでデビューすると、主にSFを手がけた。漫画の原作やアニメの脚本にも挑戦した。小説には主題、世界、人物、物語、そして文体が必要であると考え、それらを一つずつ自分のものにしていくプロセスだった。

「主題を見いだしたり、世界観を文字で構築したりすることに、それぞれ数年を費やしました。そろそろ文体のことを考えられるようになったとき、渋川春海が書けるのではないかと思いました」

 デビューから14年目にようやく、『天地明察』を書き上げた。この作品を原作とする映画「天地明察」が全国公開中だ。

AERA 2012年10月15日号