
中学から大学まで柔道一筋。大学卒業後に就職した薬局チェーン店はセブン-イレブン国内1号店(東京都江東区・豊洲店)の程近くにあった。このこともコンビニ経営に興味を持つきっかけになったという
三陸沿岸道路・志津川インターチェンジから車で約5分、仮設で始まり震災5年後に本オープンした観光施設、「南三陸さんさん商店街」を通り過ぎると、セブン-イレブン志津川十日町店が姿をあらわした。海抜約10メートルまでかさ上げしたエリアに立つ店舗。広い駐車場に次々と車が入って来る。オーナーの山内秀人さんはしみじみ言う。
「またお店ができるなんて、13年前は想像できませんでした。だってあの日、店は津波で全部、なくなってしまったんですから……」
震災前の店舗は南三陸の景勝地、神割崎手前の戸倉地区にあった。東京の大学を卒業後、約10年勤務した薬局チェーン店を経て、故郷にUターン。そこでセブン-イレブンの出店計画があることを知り、名乗りを上げた。薬局では対面販売に力を入れ、「お客様の要望を丁寧に聞くこと」を身に着けた。セブン-イレブンでもこれを踏襲。努力の甲斐あって、お客様は少しずつ増えて行った。開店から15年、契約更新が決まり、店舗を改装中に被害に遭った。
「工事がほぼ終わり、お客様に配るリニューアルオープンのパンフレットもできていました。その日はあとは商品を入れるだけの状態で、幸い店舗に従業員さんはいませんでした。従業員さんが全員無事とわかったときは、『開店前でよかった』とほっとしましたが、その後、『これからどうやって生活していこう』という不安が押し寄せてきました」
自宅も被災、店舗もなくなってしまい、何から手をつけていいかわからず、ぼうぜんと過ごすなか、震災から10日後、日々やりとりをしていた、セブン-イレブンの店舗経営相談員、OFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)と連絡がとれた。「無事でよかった」と再会を喜び合ったという。
「本部からは、『できる支援はすべてやります』と言ってもらい、気持ちが楽になったことを覚えています」
その後、移動販売という形で店ができることを聞き、秀人さんは、「ぜひやりたい」と手を挙げる。「困っているお客様を少しでも助けたい」という思いだった。できる限りの商品をトラックに積み込み、2011年5月から移動販売を開始。物資が不足している山間部の被災地を中心に、連日トラックを走らせた。
「始めた頃、道はまだ瓦礫だらけでした。トラックを停めてドアを開けたら荷物が崩れ落ちていたりもしました。それでも、お客様たちが『来てくれた!』って本当に喜んでくれて、その声に元気づけられました」
移動販売先ではお客様に、「ほしいものは何? 次、持ってくるから」とひたすら御用聞きに徹した。
「仮設住宅や公園にも行きました。最初はパンやおにぎりを求める人が多かったのですが、日常が戻るにつれ、ヨーグルトや牛乳、卵などが欲しいという希望が増え、保冷材などで温度管理を工夫しながら届けました。

2012年、仮設店舗がオープンしたときの様子。「以前のお店のお客様たちがたくさん来店され、喜んでくれました。その様子を見て、地域にもっと貢献したいという思いがわきあがってきました」(秀人さん)
2012年初頭には、うれしいニュースが飛び込んで来た。本部の支援により、以前店があった場所で仮設店舗での営業ができることになったのだ。
「ようやく、店を開けることができる」と喜びもひとしおだった。開店するとかつての常連客が次々と来てくれたという。さらに震災後には近くに廃品処理工場ができた。そこで働く人たちが、連日訪れるようになったこともあり、客足が伸びる一方、今度は人手が足りない。
「以前の従業員さんは店を離れていたので、改めて募集したのですが、震災の影響でなかなか集まらなかったんです」
そんな秀人さんを見かねて手伝いに来てくれたのが、妹の左恵子さんだ。加えて仙台から帰郷した甥の具秀さんも店の正社員として入ってくれることになった。具秀さんは大学卒業後、仙台市内の別のコンビニエンスストアでの勤務経験があり、まさに即戦力だった。
「本当に助かりました。それでも、忙しい時間帯に私と2人だけというタイミングも多かった。彼も大変だったと思います。あのときを経て、かわいい甥っ子が戦友のような存在になりました」
その後、市街地復興の流れで、現在の場所へ。2017年より具秀さん、左恵子さんと共に、前任者から引き継ぐ形で、志津川十日町店をスタートさせた。経営方針は以前と変わらず、「お客様の要望を聞く店」だ。
震災の経験を経て「一人では何もできない」と実感した秀人さんは、従業員への感謝の気持ちをさらに強く持つようになったという。
「従業員さんにはできるだけ楽しく、やりがいを持って働いてもらいたい。売上も大事ですが、『商品を自信を持ってお客様に紹介していきましょう』というスタンスでお願いしています」

オープン当初から働いている従業員の木下美紀さん。「声が大きいのが取り柄(笑)。接客が大好きなので、この仕事はとても楽しい。毎日、たくさんのお客様に声をかけています」
「元気で明るい接客」も秀人さんのこだわりだ。
「うちは他店と比べても、従業員さんの声はかなり大きく、にぎやかだと思います。従業員さんも入ったばかりの頃は控えめですが、この雰囲気に慣れると、どんどん声が明るく、大きくなってくるんです」
店内にいると秀人さんの言っていることがよくわかる。「熱々の肉まんいかがですか」などとあちこちから、声が響いてくるのだ。妹の左恵子さんは言う。
「お客様には『何か困っていませんか?』とこちらから声をかけることもあり、『電池交換や電化製品の使い方がわからない』などの相談をちょくちょく受けます。震災ボランティアを長くやってきた経験を生かし、商品を販売するだけでなく、地域の方たちをサポートできるようになりたい、と思っています」
秀人さんもこれに、深くうなずく。
「うちの店に来れば欲しい物が揃うと思ってくださっているお客様は多い。それに応えることが私たちの使命だと思っています。だからこそ、限られたスペースの中でも品揃えを多くすることを心がけています」
お酒好きな人が多い地元のお客様のために、宮城県の地酒や地元のワインなどがずらりと並ぶ。大きな冷凍庫にはロックアイスがぎっしり入っている。
「ロックアイスは漁師さんが獲った魚を保管するために購入されたりもします。おにぎりも極力きらさないようにしています。宮城県は米どころですが、『セブン-イレブンのおにぎりは、おいしい』って、すごく評判がいいんですよ」

お酒コーナーでおすすめのワインを紹介してくれた
従業員の阿部珠奈(じゅな)さん。このワインは宮城県志津川高校(現:宮城県南三陸高校)が創立100周年を記念し、
南三陸町のワイナリーとコラボしてラベルをデザインしたもの

そんな秀人さんの姿を、甥の具秀さんはしっかり手本にしてきたようだ。
「甥っ子は、お客様対応にすごく熱心ですね。教えたわけではありませんが、買い物のついでに、彼と話すのを楽しみにやってくる常連のお客様が増えました。最近は私に背格好まで似てきたようで、2人でレジに入っていると、よく親子と間違えられますが、正直、うれしいですね。彼は私の考え方をよく理解してくれていますし、おかげで将来、安心して店を任せることができます」
実は秀人さんは、仮設店舗の頃から具秀さんに店を継がせることを決めていた。後継者に指名された具秀さんは、どのように感じているのだろうか。
「志津川に戻ったときはオーナーの店で働くことはとくに考えていませんでした。でも、仮設店舗で働くうちに、セブン-イレブンに魅力を感じるようになりました。オーナーのことはすごく尊敬していますし、期待にしっかり応えなければと、常に気を引き締めています」
秀人さんからは、「失敗を恐れず、やってみろ」と常に背中を押してもらっている。「これが本当にありがたい」とも話す。

2022年10月にオープンした東日本大震災伝承施設、「南三陸311メモリアル」。南三陸さんさん商店街、南三陸町震災復興祈念公園(中橋)とともに、建築家・隈研吾氏が設計
「『成功も失敗も、やってみなければわからない。失敗をしてもそれが未来の糧になるよ』と。店を任されるなかで大小たくさんの失敗がありました。でもオーナーの言う通りで、そのたびに学びがあり、今ではうまくできることが増えて来たんです」(具秀さん)
店はこの6年で軌道に乗り、現在、登米東和町米谷店、志津川インター店と合わせ3店舗。秀人さんと具秀さんとで、3つの店をまわっている。秀人さんの夢は、3店舗の経営をさらに安定させ、いい形で具秀さんにバトンを渡すことだ。
「将来もこれまでのスタイルを受け継ぎ、お客様の困りごとに、いち早く対応できる店であり続けたい。従業員さんたちと一緒に、彼の個性も加え、さらに地域に愛されるセブン-イレブンに成長させてほしいと願っています」
秀人さんの目に迷いはない。思いのバトンはつながっていく。