富士山の北麓、河口湖に隣接する山梨県富士吉田市、国道から一歩入った生活道路沿いにセブン-イレブン富士吉田おひめ坂通り店はある。近隣には官公庁施設があり、地元のお客様のほか、これらの機関の職員も多く利用する。週末には観光客も加わり、さらに賑わいを増す。
オーナーの太田敏夫さんは同店を含め、富士北麓エリアに5店舗を持つ。車で各店舗をまわることも多い。どの店舗からもよく見える富士山は敏夫さんのパワーの源だ。しかし若いときの敏夫さんは、今の自身の姿を全く想像していなかったという。
敏夫さんは富士吉田市出身、美智子さんは隣接する山中湖村の出身。2人は友人の紹介で知り合った。夫婦として、また同志として30年以上店を支えてきた。「これからも、従業員さんたちと一緒に、お店を盛り立てていきたいですね」
敏夫さんは富士吉田市で生まれ育ち、大学進学を機に上京。卒業後は神奈川県に本社を置く電線やケーブルのメーカーに就職した。
「富士吉田市は古くから繊維業で知られ、小さい頃から工場のはた織り機の音が聞こえるような環境でした。そんなモノづくりの町で育ったので、メーカーを選んだのかもしれません。就職当時はバブル経済の始まりで忙しく、始発に乗り終電で帰る日々を送っていました。夜はしょっちゅう自宅近くのコンビニに行っていて、『助かるな、便利だな』と思っていました」
そのまま、会社員生活を続けるつもりだったが、働き始めて5年たった頃、妹から「お父さんの体の具合が悪い。帰って来てくれないか」と連絡が入った。敏夫さんの父親は富士吉田市内で、酒屋や燃料店、塗装業を経営していた。「継ぐ必要はないから、好きな仕事をしろ」と小さい頃から言われていたが、「当時は都会の生活に慣れてきて、『そろそろ転勤の辞令があればいいな』と考えていたところでした。そのタイミングもあって、地元に戻ることにしたのです」
父親からは「酒屋は任せるから、好きなようにしていい」と言われた。しかし、洋酒の輸出を拡大したい海外の圧力などから、政府内では酒類販売業の免許条件を緩和しようという議論が始まっており、酒屋以外でも酒が扱えるようになる動きが見えていた。
「そのニュースを聞いて、このまま酒販売だけに頼った商売をしていては先がない。他の業態を考えなければ……と思いました。思案する中で、ふと思い浮かんだのが、東京の生活を支えてくれたコンビニの経営でした」
複数のコンビニエンスストアチェーンの話を聞く中で、セブン-イレブンの店舗開発担当者が迅速かつ親身に対応してくれたことが、気持ちを後押しした。それから約2年後の1989年、1店舗目の富士吉田明見店( 14年に富士吉田寿駅前店としてリニューアル)がオープンした。
店のオープンの約1年後にはもう一つの祝事があった。妻、美智子さんとの結婚だ。美智子さんは、実家が商売をしていたことから「結婚するなら商売をしている人が良いと思っていた」という。
夫婦二人三脚で店舗経営をしていく中、敏夫さんは経営安定のために、当初から複数の店舗を持ちたいと考えていた。
お客様がお買い物しやすい売場づくりの徹底や、品揃えも工夫する中で、地域に愛されるお店となり、固定客も少しずつ増えていった。12年後の2001年には、念願の2店舗目である現在の店舗をオープンすることができた。この3年後の2004年、現在まで続く主力商品、「吉田のうどん」がセブン-イレブンで商品化されるのである。
パート歴15年の梶原淑江さん。
「居心地のいい職場なので、気づいたらこんなに長く働いていたという感じです」。
おすすめは温かい吉田のうどん。
「たくさんのお客様に食べていただけたら、うれしいですね」
吉田のうどんは富士吉田市の郷土料理。突出したコシの強さでも有名だ。うどんの誕生には、前述の繊維業が関係している。手織りで布を織っていた時代、女性たちが朝から休みなくはた織りをする中、手の空いている男性が昼食にうどんをつくるようになった。小麦粉はこねればこねるほど、弾力が増す。力のある男性がこの作業をすることで歯ごたえとコシのあるうどんができたという。うどんには茹でキャベツや油揚げをのせる。ここに赤唐辛子にゴマ、山椒などを合わせた「すりだね」と呼ばれる薬味を入れて味わう。
店自慢の一品はもちろん、吉田のうどん。「富士吉田名物 吉田のうどん 冷したぬき」(右)と「吉田のうどん 肉天わかめ(豚肉使用)」(左)
「吉田のうどんをセブン-イレブン本部が、地域限定商品として出すことを考えていると知ったときは、驚きました。市内には吉田のうどんを出す店が50軒以上あります。しかし、初めて食べる人は麺のコシの強さにたいていびっくりするので、コンビニで出すには個性が強すぎると思ったのです。一方で食べ慣れた地元の人が買ってくれるような、満足させる味ができるのかという不安もありました。当時、地区の責任者であるディストリクトマネジャーから地域のオーナーに意見を求められたとき、私からもこのことをお話ししました」
それからしばらくして、試作品第一号が届く。その日のことを敏夫さんはよく覚えている。
勤続22年のベテラン従業員、渡邊陽子さん。甘い物が好きということもあり、スイーツコーナーの発注を担当している。「おすすめは『とろなま食感チーズテリーヌ』。おいしくてつい食べ過ぎてしまいます」
「私だけでなく、味にうるさい女性従業員に食べてもらうことにしました。すると『オーナー、結構おいしいですよ』とのこと。私も食べてみたところ、確かにおいしい。吉田のうどんの良さを再現できているばかりか、味付けも抜群で、『これはいける!』と思いました」
そこからは「地元出身の自分にできることがあれば」と商品化に向けて、積極的に協力すると申し出た。
多くの人の努力が実を結び、2004年、ついに「肉うどん(吉田風)」として商品化された。発売当日に試食販売をおこなったところ、102個も売れたという。驚いた敏夫さんは、富士吉田市役所の企画課にいた高校時代の友人にこのことを伝えたところ「富士吉田市のPRになる商品だね」と、行政協力のもと告知してくれた。
結果、郷土料理がセブン-イレブンで販売された、と新聞などに取り上げられ、さらに売上が伸びて行った。翌年には冷たいうどんも登場。
「夏場に売れる麺類は他の地域では『冷し中華』が圧倒的だと聞いています。ところが富士五湖エリアのセブン-イレブンでは、『吉田の冷したぬき』の販売数が勝るんです。買っていくのは地元のお客様が中心で、リピーターが多いですね」
市内のうどん店は手打ちで麺を作っているため、提供できる量が決まっており、夜は開いていないところがほとんどだ。
「だから夜に吉田のうどんを食べたいときは『セブン-イレブンに行こう』となるのかもしれません。また、夏は地元のサッカーチームなどが遠征の際、よく『吉田の冷したぬき』を、まとめ買いしてくれます。ハードな運動の後もおいしく食べられる、と好評です」
その後、現在まで、吉田の冷したぬきはおいしさを追求し、改良を重ね続けている。この間、敏夫さんも店舗経営を拡大していった。
中でも富士急ハイランド店オープンの2021年は、敏夫さんにとって忘れられない出来事があった。長年の「吉田のうどん」の取り組みに加え、地元の山梨県立ひばりが丘高校との商品の共同開発など、地域に根ざした継続的な活動により、セブン-イレブン本部と富士吉田市が「包括連携協定」を締結したのだ。
晴れた日には富士山が望める店舗。お店を支える従業員たち
協定ではセブン-イレブンが富士吉田市役所と連携し、地域住民の利便性の高い暮らしの実現や地域の活性化、市民サービスの向上を図っていくことが約束された。
「吉田のうどんができたときに、自分が市役所に声をかけたことも少しは役に立ったのかなと、うれしく思いました。生まれ育った地域に恩返しできたという実感もありましたね」
実は敏夫さんの地域に根ざした活動は「うどん」だけではない。セブン-イレブン記念財団の活動の一環である「山梨セブンの森」に参加し、山道整備や植樹など、自然や貴重な生態系を次世代に引き継ぐための取り組みに努めているのだ。
大学生のアルバイトは近隣にある都留文科大学の学生たちが中心。写真はアルバイト学生たちが大学の卒業式の後、山中湖インター店に挨拶に来てくれたときの一コマ。現在も多くの元アルバイト学生と年賀状のやり取りが続いている
コロナ禍では地域のお客様に支えられていることを強く実感したという敏夫さん。これからは「さらに地域に根ざした店を作っていこう」と美智子さんや従業員たちと話をしている。
「1店舗目のオープンから、従業員さんの働きやすい環境づくりにこだわり続けています。私たちのお店には、「育休や産休を取得した従業員さんもいます。私はコンビニエンスストアの持つ『忙しそう。つらそう』というイメージを変えたい。働きやすく、やりがいのある新しいスタイルを追求していきたいんです」(美智子さん)
敏夫さんたちのお店には「勤続年数10年以上」の従業員も多く、また卒業した従業員たちが遊びに来るなど、美智子さんの思いは形となっている。
「今は夫婦というより、同志という感覚がふさわしい」という。セブン-イレブン歴も夫婦歴も30年を超えた2人は、これからも地域と共に生きていく。