
沖縄県那覇市出身の弘明さんは「バックルームで1人で仕事をしているとき、しみじみ幸せをかみ締めている」と話す。前職で一緒に働いてきたこともあり、息もぴったりな2人は沖縄の踊り「カチャーシー」を披露
セブン-イレブン那覇西2丁目店のオーナー島尻弘明さんは今からちょうど10年前、生まれ育った沖縄の地でドラッグストアの店長として働いていた。東京には年に2〜3回出張に来ており、立ち寄ったセブン-イレブンのにぎわいを見て驚いた。
「東京だから人が多いこともあるでしょうが、それだけではないセブン-イレブンというお店の力を感じました」
そのときに見た光景が強烈に目に焼きついたのだ。当時、沖縄県にはセブン-イレブンがなかった。
弘明さんはすぐに行動を起こした。
「セブン-イレブンには未来がある。そう確信し沖縄に帰ってすぐにセブン-イレブン・ジャパンの本部に電話しました。でも、『今は予定がないが出店の際には必ず連絡する』と言われ、そのときを待ち続けました」
弘明さんは、いつかは自分で商売をする夢を持っていた。コンビニエンスストアは店舗の広さがドラッグストアには及ばないが、生活に必要なものは全てそろっている。さらに弘明さんによると沖縄の人はコンビニが大好きだ。
「沖縄の人は揚げ物が好きで、パッと買い物したい。コンビニならおいしい揚げ物が待たずにすぐ買える。こんないいところはないですよ」とにこやかに話した。中でも他県で買い物をした人の話から、「セブン-イレブンは色々な商品があってとても良かった」という情報もあり、沖縄への出店を期待していたのだ。
待ち焦がれたある日、ついに弘明さんの電話が鳴った。
「セブン-イレブンが2019年7月に沖縄で出店する予定だと連絡がありました。私もすぐに手を挙げ、希望する地域での物件紹介を心待ちにしていました」
その後店舗が決まり、開店に向けてスタートを切った。日々がむしゃらに準備し、2020年1月、セブン-イレブン那覇西2丁目店がオープンした。
「この日は感無量でした。人生の中でこんなに一つのことに集中したことはなかったです。夢は願えば叶うんですね」
そう感慨深げに話した。実は弘明さんは開店準備に加え、気持ちを上げ、さらに体もシェイプアップして整えたのだ。
「お店に立つオーナーがかっこよくないとね」と少し照れくさそうに話した。
弘明さんは開店にあたって、「仕事の能力も大事だが、それ以上に笑顔が素敵な従業員を優先して採用した」と言う。もともと沖縄には外国人が多いこともあり、自然と笑顔が素敵な留学生が多く集まった。
しかし、オープン直後は全てがうまくいったわけではなかった。アルバイトとして来てもらっていた留学生の中には、日本語が話せない人もいたのだ。
「仕事を覚えてもらわないといけないのに、その前に日本語を覚えてもらわないとならない。根気強く付き合い、少しずつコミュニケーションがとれるようになっていきました」

オープン前日、従業員たちに囲まれて、セブン-イレブンのオーナーとして仕事をする期待と喜びに満ちあふれる弘明さん
また、当然ながらコンビニでの仕事に不慣れな従業員もいた。
「お弁当にお箸を入れ忘れてしまったときは、お客様のところへすぐに届けに行ったこともあります。お箸はすぐに必要ですからね」
弘明さんはミスが発覚した場合、すぐに従業員に注意するのではなく、お店のビデオを見直し、本当にミスが起きたか、誰がどんな状況であったかを確認。ミスをした留学生と一緒にお客様のところへ謝りに行き、これからは気をつけるように言った。
「注意したら落ち込むかと思ったのですが、すぐに切り替えて笑顔で『大丈夫!』と言うんです。このとき、笑顔の大事さに気づかされました」
今の穏やかな人柄からは想像できないが、かつて店長として勤めていたドラッグストアで、弘明さんは厳しい人として知られていた。
もちろんミスは良くないことだが、気持ちを切り替え皆でフォローし合うことが大事だと気づき、とにかく明るくいこうと弘明さんは思った。
「留学生に笑顔の大事さを教えてもらいました。笑顔だとなぜか許せてしまうんです」
ただ、お店ではミスなくしっかり働いてもらう必要がある。留学生の教育係となったのは弘明さんの妻であり、マネージャーのくみこさんだ。
「留学生たちは意識が高い人が多く、私が教えるとしっかりメモをとって、わからないことを質問します。彼らが今後困らないよう、普通の言葉だけでなくビジネスでも役立つ丁寧な日本語を教えました」と、くみこさんは嬉しそうに話した。バックルームにはひらがなで書かれた連絡事項もあり、日本語に慣れない留学生も理解できるよう配慮されている。こうして一つ一つ積み重ねることでオーナーと留学生をはじめとしたお店で働く皆の絆が強くなっていった。
結びつきが強くなったのはお店の中の人たちだけでなかった。「沖縄県出店 4周年記念」フェアを県内全域で開催したとき、那覇西2丁目店独自の取り組みとして、従業員で「4周年」と書かれたハチマキを巻いて店頭に立った。するとお店に来るたくさんのお客様から「4周年おめでとう」と声をかけられた。中にはプレゼントだと言って、もずくを持ってきた人もいた。
ハチマキをしてお店を盛り上げ、とくに仕事を楽しんでいたのは留学生だった。
ミスをして迷惑をかけたお客様の中にも弘明さんや従業員の丁寧な対応に心を打たれて、常連になる人もいた。
「最近子どもが生まれたんです、とお話ししてくれるお客様もいました。幸いなことに多くのお客様に親しくしていただき、お店の外でも声をかけられます。これまで周りのお客様に育てていただいたので、恩返しをしていきたいです」
御用聞き的な役割を果たし、地域密着を進めていきたいと話す。

シフトリーダーでミャンマー出身のウィン シュエ シンさん(左)と
ネパール出身のドゥンゲル ユバラズさん(右)。日本ならではの
おもてなし精神でしっかり店舗前を掃除し、お客様をお出迎え

夢にまで見たセブン-イレブンのオーナーとして約4年歩んできた弘明さんは開店時の数々のピンチを、しっかりチャンスに変えていった。実は弘明さんは子どもの頃、アイドルになりたかったという。多くのお客様にお店のファンになってもらうことで、弘明さんは地域の顔として親しまれる存在になり、ある意味、子どもの頃の夢も叶ったともいえるかもしれない。
かつて同じドラッグストアで働いていたくみこさんは弘明さんについて、「場」を盛り上げ、人をやる気にさせるのがうまいと称した。くみこさんいわく、ドラッグストア時代にはこんな逸話がある。
「店内ではいつもJ−POPや歌謡曲がかかっていたのですが、特売の日にユーロビートをかけたんです。お客様の嗜好にあっているか疑問でしたが、ユーロビートがかかっている日は特売の日であることが告知しなくてもお客様に伝わって売上も伸び、おばあちゃんがユーロビートを口ずさみながら楽しそうにお買い物をするまでになりました」
生活に音楽が深く根付いている沖縄ならではのエピソードだろう。
くみこさんは「とはいえ、お店をやっていくのは責任が大きいんです。楽しいだけじゃなく、従業員の生活も守らないといけないですからね」と、弘明さんを見ながら発破をかけるように話した。
「いやいや、参りました。うちのお店はマネージャーがしっかりしているから大丈夫ですね」と弘明さんは話し、くみこさんと2人で笑いあった。
これまでで一番楽しかったことはと聞くと、「全てです」と弘明さんは即答。
「中でもいろんな人とつながりができたことです。留学生をはじめとした海外の人たち、お客様や他のオーナーさんたちとの出会いも大きいですね」
留学生は多くが1〜2年で国に帰ってしまう。だが、自分が働いた大好きな店のために、しっかり仕事ができて信用できる人を次の従業員候補として紹介してくれるのだ。

商品の在庫や発注などについて話し合う金子律子さん(中央)、ネパール出身のシン アビナス プラタプさん(左)、サハ アルズン(右)さんの3人。どんなときも店内には明るい笑顔があふれている
「留学生たちは単に友だちだからとか、知っている人だからという理由で紹介しないんです。その恩に応えるためにも、彼らにとって日本のお父さん、お母さんみたいな存在になりたいと思っています」
弘明さんはその言葉通り家族のように接していることで今の環境がある。オープンして約4年、まだまだ発展途上だと話す弘明さんには次なる目標がある。弘明さんの店で働く留学生の中から店長やオーナーになる人が出ることだ。
「うちのお店で働いて他県に行ってもセブン-イレブンで仕事をしている留学生がいます。そのお店からは、『那覇西2丁目店でしっかり仕事を習得したようなので、今のお店でも中心的な役割で働いてもらっています』と感謝とお褒めのお電話をいただいたこともあります。留学生がオーナーになるにはいくつか壁がありますが、高い志を持っている人もいるので、いつかはそういう人が出るといいですね」と弘明さんは力強く話した。
沖縄には「行逢ば兄弟(いちゃりばちょーでー)」という言葉がある。一度会えば兄弟のように親しく接するという意味である。弘明さんはその言葉通りの行動をして現在に至っている。今が一番幸せだと弘明さんは、はちきれそうな笑顔で話してくれた。
「これからもどんなことがあっても、ずっと笑顔でいたいです。だって笑顔でいると必ずいいことが起きますからね」