
東京都出身。セブン-イレブンの一押し商品は「カップデリ」と「セブンカフェ」。休日にゴルフをするのが最近の楽しみ
「覚悟」。それは、現在神奈川県川崎市内で3店舗を経営する小西宏明さんが大切にしている言葉だ。
小西さんは、かつて会社員時代に営業職として仕事に没頭し、優秀な成績をあげていた。だが、今後の人生を改めて見つめ直したことをきっかけに商売に興味を持ち、転職を考えた。中でも、とくに関心を持ったのが、セブン-イレブンだ。ブランド力に魅力を感じたことに加え、フランチャイズシステムにより、金策に走り回ることなく、接客や売場づくり、そして店舗経営に集中できると考えたからだ。
とはいえ自分1人ではなく家族もおり、すぐに決断できたわけではない。今まで会社員だった自分がやっていけるのか。オーナーは従業員を束ねていかなければならず、自分が上に立ったら従業員がついてきてくれるのか――。そんな不安が頭をよぎった。
不安を解消するため、小西さんは早速行動に移した。契約前に、従業員教育・経営などを一から学ぶため、まずは実際にセブン-イレブンで働くことにした。そこで5年半、セブン-イレブンを経営するためのノウハウを学んだ。
あるとき、小西さんが力を入れる発注分担の取り組みについて、本部を通してほかの店舗に共有される機会があった。すると、地域で長年店舗経営をしている先輩オーナーから「一度お会いしたい」と連絡があった。
「その方は大ベテランにもかかわらず、店長さんと副店長さんに『これから小西さんに発注管理についてご教示いただくから、メモを取って店に生かすように』とおっしゃってくださいました。当時はまだ若輩者といえる私に敬意を示してくれる器の大きさと、飽くなき探究心に心が震えました。『習うは一生』の姿勢を目の当たりにし、将来こんなオーナーになりたいと強く思いました」
決意を胸に、2009年に1店舗目となる川崎子母口東店をオープン。オープン前日、従業員に対して今後の夢について話をしたことを小西さんは今でもよく覚えているという。
「『3年後には2店舗目を出す』と宣言しました。先の計画を伝え、それを実現することで、『夢は必ず叶う。だから、目標を持ってもらいたい』と従業員に伝えたかったのです」
小西さんが店舗勤務時代に出会い、今でもお世話になっている方からはこんなはなむけの言葉をもらった。「経営者は他人の人生も背負うことになる。だから、その『覚悟』を持つように」。これがセブン-イレブン経営者としての人生を支える金言となった。

川崎子母口東店が優秀店を受賞したときの思い出。妻の小西広美さんは現在も同店でマネジャーとして勤務している
経営者の「覚悟」にも種類がある。妥協することが嫌いな小西さんは、オープン当初は従業員に仕事を任せることができず、自ら動き回っていた。覚悟を示すには自分が先頭に立って店を切り盛りしていかなければならない、と思っていたからだ。
その結果、体調を崩して静養することになってしまった経験がある。今になって振り返れば「1人で抱え込み過ぎてしまいましたね」と苦笑する。
「お店に戻ってきてみたら、以前よりもさらに活気が増し、華やかさも加わったように見えました。従業員さんが生き生きと働いているほうが、お客様にとってもお店にとってもいい。その光景を見て、『私が前に立たなければならない』という考え方は違うな、と気づきました。『信じて任せよう』と視野が広がったのはそのときからでした」
こうした経験を経て、従業員にも「店を守っていく」という結束力が芽生え始めた。そんな中、約1カ月後の2011年3月、東日本大震災が起きた。
幸い店に大きな被害は見られなかったが、地震直後から店に人がどっと押し寄せた。近辺のライフラインが止まり、シャッターを下ろす店が多い中、予備電源で営業を続けた川崎子母口東店に、食料や水を買おうと長蛇の列ができた。
店舗前の交差点は信号が消え、車と人が錯綜している。一歩間違えば大事故が起きかねない。明らかに街が混乱していた。警察には知らせたが、あちこちが同様の状態で、すぐには対処できないようだった。
「非常事態を目の当たりにして、自分は何をすべきか、どうすればいいのか頭をフル回転させました」
そのときだ。当日シフトに入っていないはずだったアルバイトの大学生が店に来てくれた。
「彼がすぐにユニフォームを着てレジに入り、率先してお客様への対応を始めたんです。いつも一生懸命ではあるけれど、おっとりとしていて大人しいタイプの印象だったので驚きました。彼を見た瞬間に、『店内はすべて従業員さんに託そう』と思ったんです。私は常々『地域の人に寄り添った店』を目指していましたが、従業員さんに対して言葉にしたことはありませんでした。でもその思いがちゃんと伝わっていたんだと思い、嬉しかったですよ」
小西さんは店を従業員に任せて、交差点の真ん中に立ち、交通整理を始めた。無論、初めての経験だ。

震災時に交通整理をした交差点。
「皆で力を合わせて地域の役に立てたのではないか」と振り返る
「最後、予備電源も落ちて店が真っ暗になったのが見えて、『大丈夫かな』と心配になったけれど、従業員さんが『暗いので気をつけてください』とお客様を店舗の外へ誘導していました。それも私の指示ではなく従業員さんが自ら考えてやってくれたこと。私が『店は任せよう』と決めて交通整理をしたように、みんなの意識もその数時間の間にどんどん育っていったのでしょうね」
シフトに入っていないのに駆けつけてくれた彼にはもちろん、当日店を守ってくれた従業員に対し小西さんは言葉にならないほど感謝した。
このときのことは、のちにお客様から「非常時にもかかわらず、手際よくあたたかい接客をしてくれた」「地域にとって大切な役割を担ってくれて、感動した」「寒いのにユニフォーム姿のまま交通整理をし、止まった車に深々とお辞儀をされていて、こちらのほうが頭の下がる思い」といった感謝の投書が寄せられた。
なぜ従業員がここまでできたのか、小西さんはどんな店づくりをしてきたのか。従業員への指導や教育にあたって気をつけていることは「一言では言い表せない」という。
店舗の経営にあたって常に「人」を第一優先に考え、従業員の働きやすさを心がける。そうした基本を忠実に守ってきた。はっきり言えることは、スキルだけを重視していないということだ。
店長に登用する人材も「誰よりも速く作業ができる、発注の精度がいいといった技術はあとのこと」と言い、胸を指して「大事なのはここ。気持ちを持って働いてくれる人」と断言する。
2015年に川崎中原区役所前店、2020年に二子新地店がオープンし、小西さんは現在3店舗を経営している。今から2年前、各店舗の店長と将来について話をした。自分はあと何年オーナーでいられるか。その後、店長はどうするのかといった内容だ。
川崎子母口東店の奥井さんと二子新地店の加藤さんの2人は、このまま一緒に運営を続けていきたいという。一方で、川崎中原区役所前店の鎌田さんは、いつか独立したいと考えているそうだ。
「せっかくのチャレンジですので、できるだけ苦労はさせたくありません。そのためには、オーナーに必要な知識やノウハウをしっかりと教えたい、という親心が出て、独立までに自分が学んできた全てを教えていきたいと思っています」
巣立ちのその先まで考えて、育てていく。まさに親の心境だ。

写真左から三好ひとみさん、川埜(かわの)恵子さん。
2人とも二子新地店で働きだして数年、川埜さんはスイーツの発注を担当している。
責任感とやりがいを持って、生き生きと働いている

「いつオーナーを交代しても良いように、一歩引いて、各店長にできるだけお店を任せていきたいと思っています。現在、経営で本質的に大事にしていることは崩さずに、その中で自分たちが目指す店づくりをしていい、ということです。ただ、この二子新地店は2020年にオープンしたばかり。加藤店長とはこれからさらにコミュニケーションを深めていくつもりです」
後進を育てるにはあれこれ口を出すのではなく、黙って見守ることも大事。そんな小西さんが加藤店長にこれだけは守ってほしいと伝えたのが、自身も大切にしている「体調管理も大きな仕事」という言葉だったという。
「ずっとフル回転していたら、いいアイデアも出ないし、いい従業員教育もできません。全部自分でやろうとせず、みんなで一緒にやることが大事だと知ってほしい」
小西さんがオーナーとして独立してから14年。以前に贈られた「他人の人生を背負う『覚悟』」という言葉をことあるごとに思い出す。
「諸先輩方に育ててもらってここまできた。いただいた教えやこれまでの経験はすべて自分の引き出しに入っている。これを開けて、出し惜しみすることなく、それぞれの従業員に合ったものを渡していこうと思っています。引退するときは、引き出しを空っぽにしてから」
従業員とお客様と、笑顔あふれる店を共に創るため、店を守る「覚悟」を胸に。小西さんは、後進の育成にさらに励んでいく。