趣味はゴルフだが、何よりお店が好き。毎日、経営する3店舗のセブン-イレブンを順にまわり、従業員たちに、「いつも、ありがとう。今日もよろしくね」と声をかけている
水戸市内に建つ瀟洒なホテルの1Fにセブン-イレブントモス水戸大工町1丁目店はある。
お昼時、近隣で働く会社員たちが、吸い込まれるように店に入り、次々と商品を手に取っていく。レジの従業員たちが、てきぱきと対応する。
人の波がおさまるお昼過ぎになると、入れ替わるように、近所の住人たちがやってくる。江戸時代から栄えるこの地域には、古い商店や住宅が残っている。従業員たちは、笑顔を向けながら、お客様が不便なく買い物ができているか、気を配る。
オーナーの髙橋春生さんはそんな様子を遠目に見ながら、しみじみと言う。
「従業員さんが頑張ってくれるおかげで、この店がある。本当にありがたいことですね」
春生さんは同店のほか、近隣2店舗を経営している。1店舗目の水戸大工町店をスタートさせたのは32年も前になる。 当時、40代の春生さんは水戸市内で、親戚が経営するユニフォーム会社の役員をしていた。
一方、親戚が経営する姿を真近に見ながら、「自分でも商売をやってみたい」という気持ちがあった。
「とはいえ、『やっぱり、いきなりは無理だよな』と。なかなか先に進めない状態でした」
そんなとき、セブン-イレブンのオーナーをしている友人に会った。セブン-イレブンには本部が経営をバックアップする仕組みがあると知り、「自分にもできるかもしれない」と思ったという。
「当時、職場の近くのセブン-イレブンによく買い物に行っていたこともありました。今ほどコンビニの認知度は高くない時代でしたが、店には活気があり、将来、大きくなる業界だとピンと来ました」
2016年度優秀店を受賞した記念として、お店の前で撮影した写真。
オープン時からの従業員たちが中心になって店を盛り立てた結果、接客のよさが評判になり、売上も上がった
しかし、オープンしてからしばらくは、思うように利益が上がらなかった。春生さんの店は当初、免許品である酒とタバコのどちらも売ることができなかったからだ。近くの酒屋がコンビニに変わった影響もあった。
開業資金として銀行で組んだ15年ローンの返済が徐々に厳しくなってきた。そこで春生さんは担当エリアの責任者であるDM(ディストリクトマネジャー)に、事情を説明した。するとDMを含む本部社員が、返済計画を一緒に考えてくれるなど、親身になって対応してくれたという。
「おかげでローンを組み替えることができました。本部の方は、私自身を責めるようなことは、一言も言いませんでした。むしろ、心配して、売上を上げる方法を懸命に、一緒に考えてくれました。困ったときはプライドを捨てて、『助けてください』ということが大事だと身にしみましたし、こうして助けてくれる周囲の人たちを大事にしようと誓いました」
開店当時、苦労の多かった春生さんが、その後、複数の店を経営することになるとは、夢にも思わなかったという。
「数字が苦手な私がお店を軌道にのせるのは、大変なことでした。私1人だったらとっくにダメになっていたでしょう」
こう語る春生さんが、頼りにしてきた1人が、義理の娘のひろみさんだ。そのひろみさんが、水戸大工町店のアルバイトに応募してきたのは、大学2年生の時だった。
「私はすごく人見知りなんです。それを克服したくてセブン-イレブンに応募しました。面接では緊張する私にオーナーが、『大学ではどんな勉強をしているの?』『セブン-イレブンの好きな商品は?』と何気ない会話でなごませてくれたことを、覚えています」(ひろみさん)
春生さんはひろみさんの働きぶりにとても感心したという。
「お客様がいない時間帯も清掃や片付け、商品の陳列などをこちらがお願いしなくてもやってくれる。人間性もすばらしくて、いい人がきてくれたな、と」
だから、同じ店でアルバイトをしていた春生さんの長男がひろみさんと交際していると聞いたときは「えっ? ホントなの?」と喜んだという。
その後2人は結婚。春生さんとは、オーナーと従業員の関係から“親子”になった。
ひろみさんから「スムージーマシン」の使い方を学ぶ水戸大工町店店長の田代美代子さん(右)と、水戸東野町店店長の富田孝幸さん。3人は困ったときには何でも相談し合える仲だという
2店舗目出店の話が春生さんに来たのは、1店舗目のオープンから20年がたった頃。「1店舗目だけで手いっぱい」と最初は断ったが、後に店舗の候補地が、祖父母が大正時代にやっていた呉服店の場所とわかり、運命的なものを感じた。
「呉服店の写っている古い写真が残っていて、それを見たら、たまらなくやりたくなりました。ただ、そのとき私は60代になっていたので、先のことが心配で。すると周りの方たちが、『ひろみさんはどうですか』って言うんです。彼女の仕事ぶりを私だけでなく、みんなが評価していたんですね。そこで彼女に2店舗目の出店とともに、一緒に経営に参加してほしいと頼みました」
ひろみさんは、これを聞いて、「やるしかない」と思ったという。
「夫からは『父も年をとってくると1人でお店をやるのは、大変だと思う。いざとなったら頼むよ』と日ごろから言われていました。だから、間をおかずに『はい、わかりました』と。でも、内心は不安で、店長をやることになったときは、心の中でずっと『私にできるかな、どうしよう』と言い続けていました」(ひろみさん)
不安を払しょくしてくれたのは、オープン時の従業員たちだ。ひろみさんと年齢が近い女性がたくさん、応募してきてくれた。オープン前の1カ月間、みんなで本部の研修を受けたことで、結束力がより高まったという。
「それでも最初は店長として、何でもできなきゃいけない、誰よりもできなきゃいけないって思っていて、だいぶ苦しかったんです。それでオーナー(春生さん)に相談したら、『周りの人に頼ることも大事だよ』って言われて。そこから、従業員さんたちに、『できないのでお願いします』って言えるようになりました」(ひろみさん)
春生さんは言う。
「やっぱり周囲に頼ったり、助け合いが大事ですよね。店長が1人で全部やっていたら、いつか倒れてしまいますし、そうなったら店もダメになってしまいますから。『商品の発注も、みんなができるようにしたほうがいいんじゃない?』ってアドバイスしました」
右から、副店長の竹内具子(ともこ)さん・小川由美子さん、シフトリーダーの阿部広美さん。3人とも店がオープンした年から働いている。
店長のひろみさんとは何でも相談できる間柄
1店舗目の最初の頃は、十分に人を雇えなかったため、1人で仕事を抱えなければならないことも多かったという春生さん。
「従業員さんに任せることは、信頼の証。それが気持ちよく働いてもらうことにつながり、結果、お店の雰囲気がよくなることにつながっていくと思うんです」と力を込める。
もう一つ、春生さんが店長の心がけとして伝授したのは、「上からものを言ってはいけない」ということだ。
「店長はピラミッドの一番下だと思ってほしい、と。店の主役はアルバイトさんやパートさんたち。彼らがいなかったら、お店は成り立ちません」
春生さんのアドバイスを受けながら、ひろみさんは2店舗目の経営に取り組んだ。新商品の取り組み結果をグラフでわかりやすくするなど、新たな試みもした。
「プレッシャーで押しつぶされそうな中、従業員の皆さんの明るい笑顔に何度も救われました。私は従業員さんに店長にしてもらったと思っていますし、だからこそ、従業員さんを大切にしたいという思いが常にあります」(ひろみさん)
2017年には3店舗目となる水戸東野町店をオープン。これを機にひろみさんはグループ3店舗を束ねるマネージャーを任された。拡大する店舗を統括する役割だが、一番大事にしているのは各店の店長の悩みや困りごとを聞くことだという。そのため、各店の店長が月1回集まるほか、SNSでグループを作って、いつでも相談し合えるようにしている。
「お店のことは店長さんたちに任せていますし、みんなそれぞれ工夫して頑張っています。一方、私もそうでしたが店長になると売上やシフトなど、考えなければならないことがたくさんあります。どうしたらいいか困ったときに、他の店長さんから、『うちの店ではこんな工夫をしたよ』と教えてもらえたら参考になるのではと考えました」(ひろみさん)
春生さんから伝授された、「助け合いの精神」は、従業員にも確実に引き継がれている。お互いを思い合って仕事をする姿勢がこの店を創っているのだ。
そんな周りに囲まれて、ますます意欲いっぱいの春生さん。ひろみさんからは、「ずっと一緒に頑張っていきたい」と言われており、「その気持ちに応えたい」と顔をほころばせる。春生さんとひろみさんは、一層、前向きに、共に歩き続ける。