ともに滋賀県大津市生まれ。オフにはスーパー銭湯で充電するのが2人の楽しみ。啓之さんは元野球少年で、20代の長男・長女を含め家族全員が福岡ソフトバンクホークスのファン
琵琶湖の南西部に位置する、大津市。飛鳥時代、天智天皇が近江大津宮に遷都して以来、一三五〇年以上の歴史を誇るこの古都は、湖上交通や東海道の要衝として栄えてきた。
セブン-イレブン大津平津店は、JR大津駅から車で約20分、琵琶湖唯一の流出河川である瀬田川の近くにある。
「いらっしゃいませ!」「揚げ物いかがですか」「おいしいですよ」。店内は常に明るい声が飛び交う。従業員は働くことがとても楽しそうだ。選ぶのが楽しくなる商品の品揃えや、清潔感のある店内。そこにいるだけで何だか幸せな気分になる。
どんな取り組みをしているのかをオーナーの藤元啓之さんに聞くと、「特別なことではなく、基本四原則を徹底しているだけです」と答えてくれた。セブン-イレブンが定める基本四原則とは、「品揃え」「鮮度管理」「クリンリネス」、そして「フレンドリーサービス」のことだ。
各商品の発注・管理の担当を決め、裁量を任せる。やるべきことを日々の作業にしっかり組み込み、念入りなチェックを怠らない。お客様に求められる商品を新鮮な状態で提供し、店内は常に清潔で気持ちのよい状態を保つ。お客様から「トイレがとてもきれい。だから他ではなくこの店を選んで来店しています」という声が寄せられたこともある。日々の定期的な清掃に加え、できるだけ物を置かないことも清潔をキープするコツだそう。
接客は真心を込めて、なおかつしなやかに。お客様は地域のシニアや、近くに大津キャンパスがある滋賀大学の学生が多い。「セルフレジの操作方法がわからないお客様に対するさり気ないフォロー、お年寄りや学生への気さくな会話など、お客様に合わせた接客を心掛けています」と、啓之さんの妻でマネージャーの美代さんは言う。
基盤になっているのが、シフトリーダーが集まるミーティングだ。現在は月2回ほど実施。課題について話し合い、解決策を見つける。フェアやキャンペーンの対策、目標も自分たちで決め、その成果を発表することでモチベーションに繋げる。反省を次に生かすことも忘れない。そして、それらを毎日の「朝礼」で全従業員に共有する。
「努力によって結果は変わってくると思っています」と啓之さんは言う。
「大事なのは、やり続けること。今回はいいかな、とやめたらそこで終わってしまう。うちの店の強みは、継続する力と習慣化だと思っています」
名神高速草津PA上り店の2018年のオープン時。「大津平津店のパートさんも応援に来てくれました」(啓之さん)
家業の酒屋を継ぐ予定だった啓之さんが、酒問屋で修業を始めて2年が過ぎた頃。母から「父が病気になった」という連絡を受けた。
「父が病気になって、予想外に早く家業を継ぐことになりました」
折しも巷では酒のディスカウント店が拡大。一方、酒屋は商品配達・請求書のお届け・集金と何度も訪問するスタイル。売掛も当たり前だった。そんな中、酒屋の売上が傾き始め、不安を募らせる店が多かった。全国でもコンビニエンスストアに転身する酒屋が増えてきているという話もあり、関心を抱いた啓之さんが父親に転身話を持ち掛けたところ、酒屋への思い入れが強く「俺の目の黒いうちは許さん!」と一蹴された。
「父にはあまり叱られたことがなく、初めて対峙したのがあのとき。以来気まずくなってあまり話もしなくなりました」
しばらく経ち、配達から戻ると一枚の名刺が置かれていた。セブン-イレブンの店舗開発担当者の名刺だった。関西にはまだほとんどなかったセブン-イレブン。気になって、父の留守中にこっそり話を聞いた。
セブン-イレブンに関する著書を読み、創業理念の「既存中小小売店の近代化と活性化」「共存共栄」の考え方に共感した。想いはどんどん膨らみ、再び父親と向き合い、セブン-イレブン加盟に対する思いの丈をあらためてぶつけた。
最終的に父から返ってきたのは、「わかった。好きにせい」のひと言だった。
「あのとき、なぜ急に同意してくれたのか……。いつか理由を聞きたいと思いながら、十年以上前に父は亡くなってしまいました」
オープンした店は順調だった。だが4年目を迎える頃、近所に大型スーパーや他のコンビニエンスストアが相次いで開店し、駐車場を持たなかった自店は厳しい競争環境におかれた。そこで地区の責任者であるDM(ディストリクトマネジャー)に移転の相談をしたところ、大津平津店を前オーナーから引き継げることになった。
移転後しばらくは勝手の違いに戸惑ったが、経営は徐々に軌道に乗っていく。そして移転7年目の2013年に「優秀店」の表彰を受けた。
「『優秀店』は目標だったので本当にうれしくて、当時の従業員さんに感謝の気持ちを伝えようと、全員を集めて食事会を開いたのもよい思い出です」
店舗の営業は好調だった。ところがその矢先、近隣に新しいセブン-イレブンがオープンしたことで、一時的に売上がダウンしたのだ。実はその店舗は、啓之さんにも声が掛かっていた店舗だった。
左から、勤務歴24年になる竹ノ本恵子さん、勤務歴9年の田中美子さんと岩瀬涼子さん。「仲間と働くのが楽しい。だから続けられます」と声を揃える
「そのときは悔しくて愚痴っていたのですが、先輩オーナーに『環境など周りのせいにする前に、まず、自分の店を見つめ直してみろ』と諭され、ハッと目が覚めました。そこで立ち返ったのがセブン-イレブンの基本四原則です。人は調子がいいときは気づかないことがありますよね。困難に直面した時に、何が本当に大切なのかをあらためて気づかされました」
啓之さんと美代さんは2人で話し合い、一つの結論に至った。
「四原則の中でも特にフレンドリーサービスに力を入れたいと考えました。他の三つは私たちが日々の業務を忠実に行えば高い水準を維持できるかもしれませんが、接客は全員が一緒に取り組まないと良いものは提供できませんから」
啓之さんは従業員さんに協力をお願いした。
密なミーティングを行うようになったのもこのときからだ。
接客に関しては美代さんが率先して実践し、みんなに伝えていった。お辞儀やお客様への声掛けは、本部が開催する接客研修で学んだものだ。それに加えて、美代さんが他チェーンのコンビニエンスストアで目にしたシーンがヒントになった。従業員同士が「今日はこの商品を声掛けしようね」と確認し合っているのを見て、「これならうちだってできる!」と思い立ったという。同時に、笑顔でコミュニケーションをとるように心掛けた。
「自分にできることを考えたとき、まず第一は従業員さんといい人間関係を作ることだと思いました。私が笑わなければみんなも笑えない。それではお客様にも喜んでいただけませんよね」
「当時、nanacoカードの加入推進キャンペーンにも注力し、多くのお客様に加入していただくことができました。それもまたいい接客があってこそ、従業員さんたちの力あってこそ、だと思います」と啓之さんは言う。
「全員の力が不可欠」と痛感したからこそ、あらためて「全員が主役」を店のスローガンに掲げた。全員参加型の経営を大切にするという決意表明だった。
最近は発注も担当者に全面的に任せ、従業員さんにはできるだけやりたいことをやってもらうようにしている。
自由度の高さを象徴するのが、ユニークな手描きのPOPだ。作っている従業員の木村佳子さんは「やりがいを持ちながら働ける環境です。オーナーとマネージャーがやる気を引き出してくれて毎日が楽しいです」と話す。
スイーツフェアのときには担当者の岩瀬涼子さんのアイデアで、毎日の目標額を設定し、各時間帯で1個売れるごとにシールを貼っていくシートを作った。成果が目に見えることで、みんなのやる気がさらにアップ。全時間帯の従業員が一丸となってお客様に声掛けすることで、着々とシールが埋まり、予想以上の成果をあげることができた。
「やろうと決めたときの一体感はすごいですよ」と啓之さんが胸を張る。「担当のOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)もアイデアを出してくれたり、一緒に取り組んでくれています」
業務中も笑顔が絶えない。
「やりたいことが一杯で時間が足りないですね」「楽しくやらせてもらっています」と言う田中麻紀さん(左)と木村佳子さん
セブン-イレブン創業50周年の今年、啓之さんは60歳になった。
「人生の半分をセブンと歩んできました。色々あったけど、過ぎてみるとあっという間です。助けてもらってばかりですが、たくさんの人に出会えるのがこの仕事をやっていて一番幸せなことです」
店内で倒れた女性に従業員が応急処置を施し、救急車で運ばれたことがある。その数年後に女性が来店し、「おかげさまで今があります」と言って子どもを見せてくれたことがある。美代さんが日々声を掛けていた“やんちゃ”な男子中学生が、卒業式の日に「一緒に写真を撮ってください」と来てくれたこともある。思い出は尽きない。
「セブン-イレブンはおもしろい。だから飽きることがない。毎日のように次々と新しいことがある」と啓之さんが目を輝かせれば、「オーナーの趣味はセブン-イレブン。 好きでしょうがないんですよ」と美代さんが笑う。
「これからも従業員さんに楽しく、ずっと健康でいて長く働いてほしい」という啓之さんは65歳で引退しようと考えていたが、従業員さんたちと一緒に働き続けたいから、まだまだ頑張ると気を引き締める。「加盟30年を迎えたが、長生きしてさらに30年先のセブン-イレブンを見届けるのが夢」と、とびきりのスマイルで語った。