
智子さんは、愛犬「ヴィヴィアナ」と"二人暮らし"。結婚して近所に住んでいる圭子さんの子どもと遊ぶのが趣味。好きな曲は、荒井由実(現・松任谷由実)の「やさしさに包まれたなら」
オーナーの智子さんと、一人娘で店長の圭子さんが切り盛りするセブン-イレブン八王子陵南店。過去には「優秀店」として表彰された、地域のモデル店舗だ。
取材当日、智子さんは明るく大きな声と、とびきりの笑顔で迎えてくれた。経営者というより、いつも気軽に声をかけてくれる「ご近所さん」のようだ。しかし、智子さんがこうして明るく笑えるようになるまでには、人には言えない苦労があった。
智子さんが夫の新太郎さんと、隣町のめじろ台でセブン-イレブンの店舗経営を始めたのは1991年のこと。新太郎さんは大手スーパーの社員だったが、勤務先の近くにあったセブン-イレブンのオーナーに話を聞く機会があり、「自分もやってみたい」と名乗りを上げた。
「それまで私は専業主婦。娘の圭子は5歳でした。主人は普段は穏やかですが、一度決めたことは決して曲げない人。『一緒にやるしかない』と思いました。でもその頃の私はあくまでもお手伝い感覚で、店の経営にはタッチしていませんでした」
もっぱら接客が中心。だが、店にやってくるお客様とのたわいのないおしゃべりが、仕事抜きで楽しかったという。
「主人からは、『お前のほうがセブン-イレブンに向いているよ』なんて言われていましたね(笑)」
2011年には店が手狭になり、現在の店舗に移転。ところが予期せぬことが起こった。移転後の2013年の暮れ、新太郎さんが病に倒れ、3カ月後に帰らぬ人となったのだ。智子さんは悲しみの中、店を継続するかやめるかを考えなければならなくなった。
「店にはめじろ台店時代から10年以上働いてくれているパートの従業員さんが複数いました。主人が倒れたときも、『心配しないで私たちに任せて』と時間外のシフトにも入ってくれました。亡くなったときは棺から離れず、ずっと別れを惜しんでくれた。そんな仲間たちとこれからも店を続けたいという気持ちと、経営を全く知らない自分がやっていけるのかという不安がせめぎあっていました」
もう一つの問題は、こうした状況から新太郎さんに代わる経営者がもう一人必要になったこと。「それは、娘しかいない」と決めていたが、圭子さんが首を縦に振らないこともまた、わかっていた。圭子さんはそれまでにも常々、「店には参加しない」と言っていたからだ。
当時のことを圭子さんに聞くと、高校卒業後はカナダに4年ほど留学。帰国後、英語を生かした仕事に従事したいと強く思い、就職。仕事もやりがいがあり、まさに自分の道を確立していく時期でもあった。だからこそ、新太郎さんが冗談交じりに「店を継ぐか?」と言うだけで、けんかになることもあったそうだ。しかし、いよいよ決断が迫られる中、智子さんは圭子さんに正直に思いを伝えた。

めじろ台店がオープンしたときの写真。左から、夫の新太郎さん、当時5歳の圭子さん、智子さん。住まいは店の二階にあった。翌年の年賀はがきにも使用した思い出の写真だ
「無理にやらせるつもりはない。でも、私が店を一緒にやれる相手は、あなたしかいないよ」
圭子さんはその時点で、「自分がやらなければならない」と頭では理解していたが、覚悟が決まらなかった。2週間、ひたすら考える中、店の経営が大変な時期に留学に行かせてもらったことなど、好きなことをなんでもやらせてくれた両親への感謝の思いが湧いてきたという。
「『今度は私が親孝行をする番だ』。そう素直に思えるようになったんです」
圭子さんは智子さんを近くのカフェに誘い、決意表明をした。
「やります。お父さんがここまで頑張って続けてきた店だから」
新たな八王子陵南店のスタートだった。智子さんは本部の店舗経営相談員であるOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)に、品揃えのやり方を学び、少しずつ経営に慣れていった。2014年9月からは本部での研修を終えた圭子さんが店長として店に入った。しかし、圭子さんにはつらいことも多かった。
「私よりも仕事を知っている従業員さんたちの中で、自分のやっていること一つひとつに自信が持てなかったんです。店の雰囲気が変わったためか、辞めて行く従業員さんもいました」(圭子さん)
その一方で、智子さんは「あの子は大丈夫」と信じていた。
「若い従業員さんとは私よりうまくやっていると感じていました。また、ベテランの従業員さんたちが『圭子ちゃん、大丈夫だよ』って常に応援してくれていたんです。娘の代わりに新人の従業員さんに指導をしてくれたりもしていました」(智子さん)
「辞めよう、と思ったことはたびたびあります。でも、徐々に仕事ができるようになり3年が過ぎたとき、目の前が開けた瞬間があったんです。『私、この仕事好きだな、ずっと続けていきたいな』って。お客様がいて自分の居場所があることが、とても心地いいことに気づいたんです。私も母の血を引いているんだなって、今、しみじみ感じています」(圭子さん)
発注など商品の品揃えは智子さんが受け持ち、シフト表の作成のようなパソコン作業は圭子さんが担当するなど、足りない部分を補い合う「二人で一人前」のスタイルでやってきた。店全体では、「お客様への声かけ」に特に力を入れているという。
「私自身、お客様との触れ合いが大好きで、地域とつながっていきたいという思いでこの仕事をしてきました。主人もそうだったと思います。おかげで常連のお客様の多い店になりました。従業員さんにも協力してもらって、『お客様への声かけ』という特長を出していこうと決めました」(智子さん)

従業員の大澤萌さん。智子さんの遠縁にあたる。「初めてこの店に来たとき、
活気に満ちあふれた店内の様子を見て、コンビニのイメージが覆された」という

そうした智子さんの思いが従業員に伝わり、店はますます活気に溢れるようになった。お客様が店に入った瞬間、「いらっしゃいませ!」「今日はカレーパンがおすすめですよ!」と、あちこちから従業員の声がかかる。お昼どきはお弁当を買っていくお客様に、「汁物の代わりに、おでんはいかがですか? つゆ、多めに入れますよ!」などひと声を添える。かつてはコンビニで購入するイメージがあまりなかった“おせち”なども、こうした「声かけスタイル」によって、売上が大きく伸びた。
常連のお客様には「おはよう。今日も元気?」から始まり、夕方から夜にかけては「お帰りなさい、お疲れ様」のあいさつで迎える。一人暮らしのお客様には、栄養バランスがとれたお弁当と一緒にお惣菜をすすめるという。
智子さんは毎朝6時から9時、必ずレジに入る。これはお客様のニーズを把握するために欠かさないそうだ。
「あるお客様はいつも同じパンを買われる。そうすると品揃えをするときにその方の顔が浮かんで、『あのお客様のために、今日も品揃えをしよう』となります」
5歳くらいの子どもと父親があるお菓子を探していることがわかったときは、すぐに入荷の手配をした。後日、その親子が再度、やってきて、「わざわざ入れていただいてありがとうございました」と感謝された。

従業員の永田京子さん(左)と遠田春佳さん(右)。従業員は世代を超えて仲がいい。「オーナーの温かい人柄のおかげ。こんなに働きやすい職場はありません」と声を揃える
二人は、「従業員さんたちも巻き込んで、店を楽しく盛り上げていきたい」という思いが強い。どうしたらお客様が喜び、売上が上がるのか、従業員たちにも常にアイデアを募ってきた。
例えば2014年に行った、店の3周年イベント。従業員みんなで企画を考えた結果、新太郎さんをイメージしたぬいぐるみを作ることになった。
「『モチーフは何にしようか? クマ? タヌキ?』というところから、形や色などみんなで話し合いました。イラストレーター志望の従業員さんがデザインを作り、別の従業員さんのご家族がそれを元に、ぬいぐるみを手作りしてくれました」(圭子さん)
ぬいぐるみは「りょうなんくん」と名づけられ、その日から店内に飾られた。

りょうなんくんのイラスト
「ぬいぐるみは主人の雰囲気そのままでね。店に来た常連のお客様やご近所の方が、『お父さんにそっくりだね』と言ってくれて、思い出して一緒に泣きました」と智子さん。
2021年に行われた10周年記念イベントはさらに盛大だった。圭子さんがバルーンアートで店の入口を飾り、従業員たちがお客様を迎えた。店内には従業員たちのアイデアで、お客様への日ごろの感謝を綴った手書きのメッセージを掲示した。そこには、現在も店の主力となってくれている中国人留学生の描いた美しい店の外観と日本語でのメッセージもあった。
「この日は本部からエリア責任者であるZM(ゾーンマネジャー)や、DM(ディストリクトマネジャー)も来てくれました。担当OFCの佐藤大輔さんは、朝から一緒にお店を手伝ってくれたんです。後日、お店の様子を撮った写真をDVDに焼いてくれ、『10周年のサプライズです』と渡されたときはうれしくて……。お店を続けてきて本当によかったと思いました」(智子さん)
隣にいる圭子さんも、智子さんの話を聞き、涙ぐみながらうなずいている。
10年後、15年後はどのような店をめざしていくのだろうか。智子さんは、「地域の拠点として、灯台のような店であり続けたい。『ここがあって助かるよ』というお客様の言葉を励みに、この地で頑張っていきたいんです」。そして、こう続けた。「私の元気のもとはお客様です。10年、15年後もからだが動く限り、毎日、レジに立ち続けますよ」
隣にいた圭子さんがそんな智子さんに、「頑張れ~!」とエールを送る。
きっと大丈夫。二人の姿に、新太郎さんも安心していることだろう。