3歳になる長女は「私の小さい頃と同じく、お店が大好きです」とのこと。趣味である釣りが、従業員との良いコミュニケーションツールになっているという
東京都足立区を走る、尾久橋通り沿いにある足立舎人2丁目店は、1989年に開店して30年以上、近隣住民やドライバーたちの買い物拠点として、大きな役割を担ってきた。2008年には日暮里・舎人ライナーが開通、目の前に見沼代親水公園駅ができた。
「マンションも増え、駅を利用する通勤・通学客の方の利用が増えました。景色はどんどん変わっていきますね。でも、お客様とのつながりは変わりません。近隣のお客様には小さい頃から私のことを知っていて、自分の子どものように接してくれる人も多いんですよ」
オーナーの大駒勇蔵さんは、はにかんだ笑顔で言う。
この店は父の健治さんがオープンさせたもの。
「当時、このあたりは畑や田んぼばかりでした。この地で生まれ育った父が、祖父に相談し、土地を提供してもらう形でお店を始めたのです」
オープン当時、勇蔵さんは3歳。物心ついたときから、父親がセブン-イレブンで働く姿があったという。
「父に会いたくなると、1人でお店に行っていた記憶があるんですよ。新商品が入荷すると『お店に来れば?』って言われたり、お腹がすくと何か買ってもらって、事務所で食べていましたね。アルバイトやパートさんたちにかわいがってもらったことも、いい思い出なんです」
社員の飯田要芽さん。「お客様のニーズを考えながら、発注して売場を作る仕事が特におもしろい」と話す
高校に入学すると、父・健治さんから、「そろそろ小遣いを増やしたくないか?」と誘われ、店にアルバイトとして入る。大学生になってもアルバイトを続け、卒業後もそのまま父を手伝った。
「世間の荒波にもまれるより、父親のお店で働く方が気楽だったのか?」と思う人もいるかもしれない。でも、それは違う。セブン-イレブンで働き、人と接する仕事の楽しさを実感したのだ。
「人と話すことがもともと好きだったのですが、お店でお客様に声をかけられることがうれしくて……。常連のお客様が休日、お店に来て声をかけてくれるんです。それがものすごく好きでした。そんな気持ちが、この仕事を続ける原点になっているのかもしれません」
一緒に働く先輩の、仕事にかける熱意を目の当たりにしたことも大きかった。「新しい従業員には、セブン-イレブンが地域の生活インフラとして欠かせないものであること、どんなお客様がどのような商品を求めているのかを1時間くらいかけて熱く、話すんですよ」
細かな視点や姿勢に感動し、こんな風になりたいと思ったという。
しかし、店長になってからは楽しいだけではすまなくなった。「これはいける」と発注した商品が思いのほか、売れない。なぜだろう、答えが出る間もなく、次の課題が出てくる。そんな繰り返しの日々だった。
そんなとき頼りになったのは、本部のOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)の存在だ。
「接客の仕方や商品の並べ方、どうすれば売れるかなど、親身になって一緒に考えてくれました。自分だけでは気づかなかった視点でアドバイスをくれたのが非常に心強かったです。お客様に喜んでいただけるお店を目指し、毎週いろんな打ち合わせをしました。あるとき、『最近、おすすめ商品のコーナー、やっていませんよね?』と、OFCに言われて、久しぶりにやってみたら、売上が大きく伸びたんです」
従業員がおいしいと思った「いち押し」の商品コーナーを作り、「おいしいですよ」「いかがですか?」と、声をかけたりもする。
現在担当するOFCは、「大駒オーナーのお店は、従業員さんが楽しそうに働いています。明るいトーンで心から『おすすめですよ』といわれると、お客様は『じゃあ、買ってみようかな』と商品に手が伸びる。ここは、そんな雰囲気なんですよ」と話す。
店長の加藤央士さん。学生のアルバイトが多く、
定期的に全員と面談してコミュニケーションをとっている
左)3歳頃の勇蔵さん。「父が働く姿を見るのは好きでしたね」
右)オーナー交代時にセブン–イレブン本部に提出した履歴書の写真
勇蔵さんが働くようになった後、健治さんと勇蔵さんは、2011年に足立古千谷本町3丁目店、2013年に足立入谷1丁目店、さらに2016年には足立舎人5丁目尾久橋通り店と、次々に新たな店舗をオープン。以後、新しい商品が出ると4つの店舗が、それぞれ工夫して販売に取り組んでいる。
「競うといっても、厳しいものではありません。『1位だったよ、よかったね!』って伝えると店全体がわーっと盛り上がって、『来週も頑張ろう』と次の取り組みに励んでくれます。新しく入ったアルバイトさんも、『やりがいがある』って言ってくれますね」
勇蔵さんは新たにオープンした3店舗すべての立ち上げに店長として関わった。3店舗目を軌道にのせた頃、父から経営を譲りたい意向を伝えられたという。
「そろそろ準備しておけよ、と言われたときは、うれしかったですね。ただオーナーになるには、さまざまな壁がありました」
「当時の私にはどこか頼りないところがあったのでしょう。エリア責任者であるDM(ディストリクトマネジャー)が心配して毎週のようにやってきて、決算書の見方などを丁寧に教えてくれました。厳しかったですよ(笑)」
多店舗経営は一つの店舗を経営するよりずっと大変だ。DMはそれをよくわかっていたからこそ、先々を考えてくれたのだろう。
「オーナーになったとき、DMは事務所に来て、交代式までやってくれたんです。父も私に『俺も認めたんだから大丈夫だよ。自信を持って頑張れ』って、安心させてくれました」
見沼代親水公園駅から見る夕暮れ時の店舗
オーナーになって現在4年目。4店舗合わせて、社員11名にアルバイト、パート含め、総勢100名の従業員を勇蔵さんがけん引する。4つの店舗は土地柄、1人暮らしの高齢者も多い。こうした人たちの役に立ちたいという気持ちが特に強いという。
「この辺りは、スーパーも少ないので、毎日の料理の材料からトイレットペーパーなどの日用品まで、あらゆるものをうちで買ってくれるお客様がけっこういます。そうした環境を考え、豊富な品揃えや、在庫をきらさないことを心がけています。電話で注文を受けた商品を配達したり、買ったものが重そうなら自宅までお届けしています」
自宅への配達は独自の取り組みで、本部の宅配サービスと並行しておこなっているという。
近くにはクリニックがあり、薬を待つ間、店に買い物に来る方もいる。「薬ができたと患者さんに伝えてほしい」と調剤薬局から電話が来ることもある。勇蔵さんはセブン-イレブンがこのように、地域の拠点になっていることが、うれしくてたまらない。
一方、従業員に対しては「忙しくても無理はさせない」「楽しく働いてもらうこと」を心がけている。実は3店舗目をオープンしてまもない頃、お店の店長が体調不良で退職、翌年には別の店舗の店長と副店長の折り合いが悪く、2人とも辞めてしまうという事態に直面した。残った4人の社員で3店舗を運営しなければならず、大変だったという。さらに2020年はコロナ禍となり、人の動きが大きく変わった。
「ステイホームにより、住宅街の店舗ではお客様が急増するなど、これまでにない変化があり、店舗間で従業員さんのシフト調整をおこなう必要がありました。従業員さんも感染が不安な中、感染防止を徹底しながら、頑張ってくれました。お店を続けることができたのも、みんなが協力してくれたおかげなんです」
従業員には仕事に対する悩みや不満がないか、常に気を配るようにしている。
「何か相談があるのではないか? と感じるときは、趣味の釣りに誘っています。大自然の中で、釣りをしながら、話を聞くのっていいじゃないですか?」
店長を務める加藤央士さんは、「オーナーはコミュニケーションがうまく、巻き込み上手。とにかく従業員とよく話します。私も気づけば釣り仲間になっていました」と笑う。
勇蔵さんは将来について、「タイミングがあえば、次なる出店も考えている」と話す。とはいえ、最優先なのは今の従業員たちが楽しく快適に働ける環境を維持していくことだ。
「従業員さんたちが楽しければ、お客様も笑顔になる。そんなお店をこれからも、ずっと続けていきたいですね」