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ヘッダー画像 セブン-イレブン[50周年企画]明日の笑顔を 共に創る

働くことは生きること。そばにはいつもセブン-イレブンがあった

セブン-イレブンさいたま曲本3丁目店オーナーの坂本まゆみさん(中央)と店長の野口尚孝さん(左)、
そしてまゆみさんの息子でさいたま曲本5丁目店店長の坂本大夢さん(右)

01セブン-イレブンさいたま曲本3丁目店(埼玉県)

1974年5月に国内1号店が誕生してからまもなく50年。
セブン-イレブンの過去・現在・未来を伝える新連載。
第1回は70年代の黎明期から店を営み続けてきた家族の物語をお届けします。

文/安楽由紀子 撮影/松永卓也(朝日新聞出版) デザイン/スープアップデザインズ 
制作/朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ 企画/AERA dot. AD セクション

坂本まゆみさん
オーナー 坂本さかもとまゆみさん

趣味はストリートダンス。息子・大夢さんに仕事を任せられるようになり、仕事の合間を縫って週2回ほどスクールに通うようになった。ダンスも笑顔の源になっている

 セブン-イレブンさいたま曲本3丁目店では、老若男女問わずスイーツを購入する人が目についた。中には複数買いをする人も。オーナーの坂本まゆみさんは、顧客のニーズや商品の特徴を熟知して品揃えしているのだろう。

 そんなまゆみさんの父・輝男さんが営んでいた酒屋がセブン-イレブンに生まれ変わったのは1978年、全国にセブン-イレブンが数百店の時代。第一次オイルショックからの回復期で、酒屋経営も決して悪かったわけではない。だが「これからはどうなるかわからない」と、輝男さんはセブン-イレブンという新しい世界に飛び込んだ。まゆみさんは「父の決断はすごかったなと、あとになって思いました」と振り返る。

 当時小学生だったまゆみさんは、ピカピカの明るいお店が大好きで、ランドセルを背負ったままドアをくぐり、商品をきれいに並べ直した。輝男さんはその様子に「この子はすごい」と目を細めた。

 人が大好きな輝男さんは、いつも従業員やお客様と笑い合いながら働いていた。まゆみさんはそれを見て「セブン-イレブンってなんて楽しい仕事だろう」と思った。

 まゆみさんが大学に入学した1991年、全国の店舗数は5000店に迫っていた。だが、その頃から世の中の風向きが変わり始めた。バブルが崩壊し、世の中の消費マインドは低下の一途。晩婚化、少子高齢化、非正規雇用の増加など、人々の価値観や社会状況は大きく変化した。

 駐車スペースがない、たばこの販売免許もないお店は、時代の荒波に翻弄された。本部の店舗経営相談員であるOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)とともに試行錯誤を繰り返し、もがいていた輝男さんは、エリア責任者であるDM(ディストリクトマネジャー)から移転を勧められた。移転先は最寄り駅からは徒歩約20分、バスは通っておらず、周囲は田んぼだらけ。酒屋仲間や親戚から「移転したらもっと業績が悪くなる」と大反対されたという。

「父は『DMさんがこの場所がいいと言うのだから、あの人を信じる』と言ったそうです。その決断もすごいですよね」酒屋からセブン-イレブンへの転身に続き、輝男さんは2度目の大きな決断をした。

茂木奈津子さん

さいたま曲本3丁目店のオープン時から働く従業員の茂木奈津子さん。別店舗での勤務経験もあり、子育てが一段落したのを機に働き始めた

 まゆみさんは大学を卒業後、ホテル勤務を経て北海道でパン作りに励んでいた。輝男さんは「好きなように生きろ」と娘の生き方を認めてくれていた。そんな輝男さんからかかってきた一本の電話。

「店を移転することになったから、ちょっと手伝ってくれないか」

 その言葉を聞いて、まゆみさんは「すぐに帰らなきゃ」と思ったという。

「迷いはありませんでした。父から初めての頼まれごとだったので、たった一言でしたが大きなメッセージを受け取ったような気持ちでした」

 輝男さんは自分の年齢を考え、今後のお店を経営する人材について本部と話し合っていた。その際、子どもの頃にお店で商品を並べていた娘の姿を真っ先に思い浮かべ、電話をかけたのだった。

移転先で「待ってたよ」と迎えられた

「移転初日からたくさんのお客様に来ていただけました。多くの方から『待ってたよ』『開店してよかった』と喜ばれ、信じられないぐらい大忙しになって不思議なくらいでした。ここ曲本のお客様にもっと愛されるように、セブン-イレブンができてよかったと思っていただけるようにと、その頃はとにかく必死でした」

 2001年にオープンした、さいたま曲本3丁目店。今では周囲に住宅が建ち並び、近くにはクリニックモールや小さな事業所も点在する。広い駐車スペースがあり、近くの高速道路や幹線道路を走るドライバー客も立ち寄りやすい。新しいチャレンジをした輝男さんには、まさしく先見の明があった。

 移転直後の衝撃的な思い出がある。まゆみさんは大きな店舗を維持すべく、スタッフ管理や新規顧客獲得のため1人で駆け回って働いていた。

 移転したことは輝男さんと新しい経営を模索する良い機会だったが、輝男さんの仕事は以前のお店にいた頃とあまり変わらなかったという。DMにはそのことがわかっていた。

「普通はありえないことなんですが、父を一喝したんです(笑)。『何のために娘さんを呼んだんですか? 一緒に新しい考え方で運営していかないと!』と。父はただ黙って聞いていましたが、次の日から『まゆみはどうやって店を運営していきたいんだ?』と聞くようになりました。移転オープンから数日後のことですが、私にとってはあの日が本当のオープン日だったように思います。DMさんはそれくらい熱い思いを持ってくれていましたし、父とDMさんの間にはそうしたことを率直に言える信頼関係があったのではないでしょうか」

 まゆみさんに経営を引き継いだ後も、輝男さんはどんなことがあっても毎日必ず早朝と午後の2回、お店に来ては、従業員と「この商品、おいしいんだよ」などとおしゃべりを楽しんだ。体調を崩してからも気にかけているのは常にお店のこと。体の自由がきく最後の日まで店先に立ち、しみじみとした様子で店内を見回していた。

 セブン-イレブンとともに生き、セブン-イレブンを愛した輝男さんを見送ったのは、2018年のことだ。

野口尚孝さん

2019年から店長を務めている野口尚孝さん。
大夢さんと同世代ということもあり、なんでも相談し合える仲だ

ここで働いている時間を楽しいものにしてほしい。その楽しさがお客様に伝わるから。

セブン-イレブンで叶えた家族のそばで働くこと

 他界から1年後、輝男さんの念願だった2号店・さいたま曲本5丁目店をオープンした。2号店店長を務めるまゆみさんの息子、大夢(たむ)さんは言う。

「移転前は自宅の下がお店でしたし、移転後も自転車でお店に遊びに来て祖父や母が一生懸命働く姿を見ていました。でも実は、子どもの頃はセブン-イレブンで働きたいとは思いませんでした。『なぜうちの大人たちは、みんな休日も仕事をしているんだろう。自分は絶対にカレンダー通りに休める仕事をするんだ』と思っていたんです」

 だが、高校生のときからまゆみさんの店でアルバイトを始め、いつも近くに家族がいたことに気づき、自分も結婚して家庭を持ったら、家族のそばで仕事をしたいと思うようになった。

 大夢さんは22歳のとき「母を手伝いたい」と告げた。まゆみさんは、自分が輝男さんから言われてきたように大夢さんにも「好きなように生きたらいい」と言い聞かせていたので、当初は「一度他の会社を経験してからのほうがいいのではないか」と戸惑った。だが、大夢さんの決意は固かった。

移転前の店

移転前の店で。まゆみさん(右)と、生まれたばかりの大夢さんを抱く父・輝男さん。まゆみさんの生家であり、大夢さんにとっては“働くおじいちゃん”を間近で見ていた思い出の店だ

「僕はセブン-イレブンをずっと身近に見てきて、いつも時代の先を見据えて変化していることを肌で感じていました。もし今後何か課題が発生したとしても、きっと解決してくれるだろう、いや、一緒に解決していけるだろうと信じていたので不安はありませんでした」

 輝男さんもまゆみさんもそうやってセブン-イレブンとともに山を越えてきたことを大夢さんはよく知っている。

 大夢さんは今31歳。子どもは1歳半。少しでも時間が空けば自宅に戻り、妻とともに子どもの成長を見守る。まゆみさんを支えながら、家族のそばで働いている。

働くことは生きること

 改めて振り返り、空回りした時期もあったことをまゆみさんは思い出す。「もっとこうしたい」と思えば思うほど、従業員との温度差を感じてキリキリした日もあった。思い悩んで眠れず、気づくと朝になっていたこともあった。

 そうした日々を超え、まゆみさんがたどりついたのは「話すこと」。新商品のことからちょっとした雑談も含め、必ず毎日従業員と話すように心がけている。

「最終的にいちばん大切なことは『お客様が喜ぶこと』。それは絶対に曲げられません。でもそのためにはまず従業員が楽しくないと。学生、ダブルワーク、主婦、シニア……みんなそれぞれに夢を持ちながら、貴重な時間をこの店のために使ってくれている。そこでいかに仕事に夢中になってもらえるかは、私たちとの関係性とセブン-イレブンに対する思いの強さにかかっていると思っています。だから、ちょっとした会話を積み重ねて、『楽しい』と思ってもらいたいんですよね。まずは私が楽しいと感じたことを従業員さんに伝える。そうすれば、従業員さんも笑ってくれて、その楽しさをお客様にも伝えたくなると思うんです」

 まゆみさんの頭の中には、常にお客様と従業員のことがある。戸田地区OFCの大池涼祐さんはまゆみさんについて「どんなときでも坂本オーナーからは、必ず『お客様目線でどうか』という意見が返ってきます」と言う。たとえ少数でもお客様が楽しみにしている商品は品揃えを続ける。

 最近は、2店の店長たちに司令塔を任せ、自分は「一歩引く」ことを意識し出した。「これがなかなか難しくて」と笑う。今後、店舗を増やしていくかどうかは、従業員みんなの思いを汲みながら大夢さんと相談して決めていくつもりだ。

「私の根幹にある“働くことは生きること”という考え方は、セブン-イレブンで培われました。セブン-イレブンは日本全国にある。このお店を卒業した従業員さんも、ここでの経験を生かしてまた別のセブン-イレブンで働くこともできます。そのときのためにも、セブン-イレブンの素晴らしさをもっと伝えていきたい」

 2023年3月末現在、セブン-イレブンの国内店舗数は2万1389店。時代は変わったが、一つひとつ、小さな手で商品を並べ直したあの頃のまゆみさんの気持ちは変わることはない。

My dream
My dream

「私は若いときからいつも小さな目標を持って、それをクリアしてまた小さな目標を持って……ということを繰り返してきました。この店に関わったスタッフも全員、目標や夢が叶うように願っています。そのためにはパワーが必要。パワーは楽しい気持ちから生まれると思う。たくさんパワーを持って前進していってくれたらいいですね」とまゆみさん

セブン-イレブンさいたま曲本3丁目店

住所

埼玉県さいたま市南区曲本3-5-1

特徴

2001年開店。さいたま曲本5丁目店と合わせてまゆみさんが
現在2店舗を経営している

セブン&アイHLDGS.公式HP