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うるわしの工業都市ウッチで19世紀のポーランドにタイムスリップ!

ポーランドの都市名を挙げると最初に出てくるのはワルシャワ、次はクラクフ、グダンスクだろうか。最近は地方の小都市ボレスワヴィエツも手描きの陶器がポーリッシュポタリーとして人気で、日本でも有名になってきている。では、あなたはワルシャワから鉄道で1時間半ほどのウッチという町の名を知っているだろうか?

文/石川みゆき 写真協力/升谷玲子 デザイン/スープアップデザインズ
制作/REGION、朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ
企画/AERA dot. AD セクション

マヌファクトゥーラの門と時計

ポーランド産業革命期に大発展した繊維工業都市

ウッチはポーランド屈指の大都市にもかかわらず、町として成長し始めたのはわずか200年前だったという異色の都市だ。歴史をさかのぼれば、あることが契機になって爆発的に人口が増え始めた時期があった。1820年には800人ほどだった人口は、20世紀初めに32万人を数え、社会主義時代にはワルシャワに次ぐ規模の都市にまでなったのだ。

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その理由とは綿織物に投資する資産家に大きな経済的特権が与えられたことだった。ポーランド映画を代表する巨匠アンジェイ・ワイダの作品には、このウッチの産業革命期を題材に取り上げた「約束の土地」がある。黎明期のウッチを舞台に資本家へのサクセスストーリーを夢見る青年の野心を描いた作品だ。

ウッチの旧紡績工場マヌファクトゥーラ

ウッチの旧紡績工場マヌファクトゥーラ

19世紀の大資本家の像

19世紀の大資本家の像

旧労働者住宅

旧労働者住宅

莫大な資金を投入して工場経営者となった資本家たちは、労働者の確保と就業場所の建設だけではなく、社宅や保育所、商店などをつくり、未来の従業員も確保するために学校も運営した。そして従業員の子どもたちは、そこに通って職業教育を受けることができた。

紡績工場の仕事は重労働には違いなかったが、生活を保証され、福利厚生も当時としては整っていたことから紡績工場への就職希望者は近辺の農村からだけではなく、遠くからも続々と集まった。ウッチの近代化はこうして資本主義の大波に突然のまれる形で始まったのである。

ユダヤ系のイズラエル・ポズナンスキ(1833〜1900)、ポーランドに定住したドイツ人のカロル・シャイブレル(1820〜1881)、ルドヴィク・グロフマン(1826〜1889)、エドヴァルト・ヘルプスト(1844〜1921)、ロベルト・ビデルマン(1836〜1899)らは19世紀のウッチを代表する資本家だ。彼らは自らのビジネスだけではなく、公共インフラの充実に財を投じたことでも知られる。まるで宮殿のような大邸宅を築いたポズナンスキやシャイブレル、ヘルプストの住居はかつてのままの調度品や内装が保存されていて、訪れる人々を19世紀の富豪の世界へといざなってくれる。

大富豪シャイブレル家の旧邸宅の一室

大富豪シャイブレル家の旧邸宅の一室

ポズナンスキ宮殿

ポズナンスキ宮殿

ポズナンスキ宮殿の内部

ポズナンスキ宮殿の内部

20世紀の世界的なピアニスト、アルトゥール・ルビンシュタインを記念した展示室

20世紀の世界的なピアニスト、アルトゥール・ルビンシュタインを記念した展示室

ポズナンスキが住居としていたといわれるポズナンスキ宮殿の並びには、1877年から78年にかけて建てられたレンガ造りの旧紡績工場があり、マヌファクトゥーラと呼ばれる。かつて従業員が出入りした門の上には時計があり、長く社員を働かせるために朝には時計の針を少し早めたり、終業時には逆に遅くしたりという小細工をポズナンスキが自らしていたといわれる。産業革命期の経営者の生き馬の目を抜く根性をそこに見た気がした。

マヌファクトゥーラの門と時計

マヌファクトゥーラの門と時計

堅牢なレンガの建物はリノベーション工事を経て、産業遺産としてさまざまな形で利用されている。マヌファクトゥーラにはショッピングセンターや映画館、プールバーなどのアミューズメント施設、レストラン、ホテル、ミュージアムが集まるが、ほかにも高級マンションやレンタルアパートメントハウスとして利用されているLOFTも産業遺産活用の一例だ。

高級アパートメントハウスLOFT

高級アパートメントハウスLOFT

ウッチは第2次世界大戦の被害をほぼ受けていない都市であるため、19世紀から20世紀にかけての建築が今も数多く残る。メインストリート「ピォトルコフスカ通り」は全長約4kmというヨーロッパでも指折りの長い通りだ。左右には世紀末から富裕層が競って建てたアール・ヌーヴォー様式の建造物が並ぶ。

イルミネーションが続くピォトルコフスカ通り

イルミネーションが続くピォトルコフスカ通り

19世紀末から20世紀初頭の美しい建物が並ぶ

19世紀末から20世紀初頭の美しい建物が並ぶ

きらめくバラの小路

ピォトルコフスカ通りの始点ヴォルノシチ広場のそばには一風変わった小路がある。壁面いっぱいの鏡のかけらはモザイクで、よく見るとバラの形になっている。この通りの名はローズ・パサージュだ。設計したのは現代美術家のヨアンナ・ライコフスカで、2013年から14年にウッチ四文化フェスティバルの一環として施工された。

ローズというのは目のがんを患っていた娘の名であった。きらめく無数のミラーが作り上げるバラの花には目のがんを克服した愛娘への母の愛がぎっしりとつまっている。

ローズ・パサージュ

ローズ・パサージュ

19世紀から続く多文化共生

19世紀からウッチの歴史をつくり上げた資本家と労働者のバックグラウンドにあったのがポーランド、ドイツ、ユダヤ、ロシアの四つの文化だった。多文化共生の歴史は博物館だけではなく、宗教的モニュメントや料理にも残っている。

たとえば、1855年に設置された旧墓地は多文化共生のネクロポリスとしてカトリック、プロテスタント、ロシア正教の3区画に分かれている。ウッチを築いた大資本家らやその家族の多くがここに眠り、なかでもカロル・シャイブレルの霊廟はまるで教会かと見まがうばかりの規模だ。

ロシア正教会アレクサンドル・ネフスキー寺院

ロシア正教会アレクサンドル・ネフスキー寺院

旧墓地プロテスタント地区にあるカロル・シャイブレルの廟

旧墓地プロテスタント地区にあるカロル・シャイブレルの廟

ウッチから世界へ羽ばたいた映画界の巨匠たち

映画監督として世界的に知られるアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・ザヌーシなどが輩出したウッチ映画大学はポーランド国内唯一の国立映画大学だ。正式にはレオン・シレル記念ウッチ映画・テレビ・演劇大学。世界中から留学生が集まる人気大学のひとつだ。

映画界への登竜門ウッチ映画大学

映画界への登竜門ウッチ映画大学

学内には名監督たちが学生時代によく座っていた階段があり、ここにだれが座っていたかが刻まれているプレートがある。ワイダ、ザヌーシ両監督の名の上にポランスキー監督の名がみえるが、ここから飛び降りたと書かれている。案内をしてくれた大学の教官が、茶目っ気たっぷりだったというポランスキー監督のエピソードのひとつとして教えてくれた。この映画大学では、昔の名作などの映画も無料で楽しめるように学内の映画館を一般人に開放している。ポーランド映画に興味があれば、ぜひ足を運んでみたい場所のひとつである。

世界へ羽ばたいた卒業生が長い壁を飾る

世界へ羽ばたいた卒業生が長い壁を飾る

階段の右端に有名になった卒業生の名前が刻まれている

階段の右端に有名になった卒業生の名前が刻まれている

映画博物館に行ってみよう

ウッチが労働者の町として発展した時代には無数の映画館があり、映画は娯楽にはなくてはならないものとなっていた。そんな映画の町ならではのユニークな博物館が富豪カロル・シャイブレル旧邸にある。映画のすべてを活動写真の時代から楽しみながら見学できる体験型のミュージアムだ。撮影や上映技術の変遷を豪華な富豪の邸宅の中で見学できる。

また、ウッチ生まれのかわいいパペットアニメキャラクターたちに出会えるパペットアニメ専用の展示室もあって年齢に関係なく楽しめるので家族連れも多い。とくに人気なのは耳の曲がったミシ・ウシャテク(耳くまちゃん)で、日本では「おやすみ、クマちゃん」というタイトルで紹介されている。ポーランドでは祖父母の時代からだれもが知っている名作だ。

世代を超えて人気!

世代を超えて人気!

「OFF」で楽しむウッチの旅情

ピォトルコフスカ通りの「OFF」は、古びた窓やレンガの色が残され、産業遺産の価値が人々の意識から消えていた社会主義時代を彷彿とさせる場所だ。社会主義時代に町を飾ったネオンが懐古的なレストラン・スプウジェルニャ(Spółdzielnia)やオリジナルブランドのブティック、カフェなど、この建物自体が持つレトロ感を強調した気軽に立ち寄れる店が並ぶ地元っ子に人気。一昔前のウッチの雰囲気に浸ってみたいならおすすめだ。

OFF PIOTRKOWSKA

OFF PIOTRKOWSKA

レストラン・スプウジェルニャ

レストラン・スプウジェルニャ

OFF PIOTRKOWSKA

所在地:ul. Piotrkowska 138/140

Spółdzielnia

ワルシャワからの日帰りも楽々だが、ここの本当の魅力を体験したいならぜひ1泊してゆっくり町歩きを楽しんでみたい。

ホテルPURO Łódźは市内の各観光スポットからのアクセスもよく、ゆったりとした客室からはポズナンスキ宮殿を望むという絶好のロケーション。また、レストランのクオリティーの高さにも定評があり、朝食ひとつをとってみても料理の質の高さを実感できる。

ホテルPURO Łódźの客室から見えるポズナンスキ宮殿

ホテル PURO Łódźの客室から見えるポズナンスキ宮殿

ウォヴィチはフォークロアがいっぱい

ワルシャワへの帰り道にぜひ立ち寄ってみたいのが、今も昔からの伝統的な衣装や文化・工芸が守り続けられている歴史とフォークロアの町ウォヴィチだ。ウッチから鉄道を利用すると1時間。また日中およそ1時間おきに出ているバスだと1時間15分ほどで行ける。ワルシャワへのアクセスは鉄道で約1時間30分だ。

切り絵 切り絵
ウォヴィチの女性の伝統衣装(Sylwia Plichta)

ウォヴィチの女性の伝統衣装(Sylwia Plichta)

華やかな刺繍と鮮やかなウールの質感。ウォヴィチの伝統衣装を言い表すならこれに尽きる。今もまだ伝統を守り続けるウォヴィチの文化や歴史は、ウォヴィチ博物館に立ち寄ってみればよくわかる。

羊の毛を刈るはさみで作ってきたという伝統の切り絵や、パヨンクとよばれる天井飾り、木工芸、今も特別な機会に着用されている伝統衣装の変遷をまとめて学べる博物館だ。さらに5kmほど離れたマウジツェにも農村がそのまま丸ごとおさまったような古民家博物館があり、この土地からほど遠からぬジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれたフレデリックショパンが創作のインスピレーションを受けた素朴な田園風景を体感できる。

パヨンク(天井飾り)

パヨンク(天井飾り)

マウジツェ古民家博物館

マウジツェ古民家博物館

ウォヴィチ博物館

伝統を守るウォヴィチの人々

ポーランドはカトリック教徒が大多数を占めている国だが、なかでもウォヴィチは信仰心の篤い人々が多い土地だ。日曜日になれば伝統衣装をスマートに着こなして礼拝に向かう市民の姿を見かける。

ウォヴィチの伝統行事のハイライトといえば、聖体節(2023年6月8日、24年5月30日)のプロセッション(行進)だろう。子どもから年配の方まで伝統装束の人々の長い列が厳かに町の中を進んでいく姿は圧巻だ。

ウォヴィチの正装で礼拝に向かう地元の男性

ウォヴィチの正装で礼拝に向かう地元の男性

次の旅行は、ポーランドで19世紀の大富豪たちの夢とフォークロアの世界を楽しんでみてはいかがだろうか。

ポーランドへのアクセスは、東京とワルシャワを最短で結ぶLOTポーランド航空がおすすめだ。創業は1928年12月という世界でも歴史の長い定評ある航空会社のひとつで、ブルーを基調にした落ち着いた機内には軽やかなショパンのメロディーが流れる。2023年3月末からの夏季スケジュールでは週5日から6日、東京〜ワルシャワ間の直行便が運航される予定だ。

取材協力

LOTポーランド航空
https://lot.com
ウッチ市観光局
https://lodz.travel/en/
ウッチ県観光局
https://lodzkie.travel/
詳細はこちらから POLISH TOURISM ORGANISATION

提供:ポーランド政府観光局