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夫50歳、娘13歳。妻を乳がんで亡くしました。

重い病気は、かかった本人だけでなく
家族全員の暮らしを変えてしまう。
ごく当たり前の幸せな日常がある日を境に一変した、
ごく普通のお父さんの話。
撮影/小山幸佑 デザイン/鍋田哲平 ウェブコーディング/ドットワークス 企画・製作/AERA dot. ADセクション

「乳がんのリアル」を聞きました  桃山透さん「最悪の顔つきの乳がん」と言われて─

桃山透さんの妻の乳がんが検診で見つかったのは41歳のとき。桃山さん本人43歳、娘6歳だった。「乳がんになる」ということは桃山さん夫婦にとって〝対岸の火事〟だった。桃山さんは妻の闘病をどうサポートしていけばいいのか、闘病にはいくらかかるのか、考えてもわからないことだらけで極度の不安に襲われた。厳しすぎる現実から逃げ出したくなることは、一度や二度ではなかった。桃山さんの妻が乳がんになってから亡くなるまでの日々を振り返る。(聞き手はAERA編集長片桐圭子)

――医師から、奥さまが乳がんだと告げられたときのお気持ちを聞かせていただけますか。
「最悪の顔つきの乳がんです」と医者に言われ、驚きのあまり耳鳴りがして、頭がクラクラしました。進行が早く、しつこいタイプのがんで、右脇のリンパ節にも転移している、と。告知の数日後、私の後頭部の右下に大きな円形脱毛症ができていました。
 でも、そのくらい妻のことを大切に思っていたことに気づくことができたし、妻の闘病をしっかりサポートしたいという気持ちが強まりました。

夕食後の散歩が小さな楽しみに

――闘病中の奥さまには、どんな変化がありましたか。
 初夏から抗がん剤治療を始めて、半月ほどで髪の毛がほとんど抜けてしまいました。爪もボロボロになり、倦怠感や味覚障害、感覚麻痺などで苦しんでいました。
 また、副作用で皮膚障害を起こしやすくなることもあってか、次第に好きな散歩に出かけるのも嫌がるようになり、うつ気味になったのです。
 そこで紫外線が少なくなる夕食後に、家族で散歩をすることにしました。妻は、最初は気乗りしなかったのですが、そのうち散歩の時間を楽しみにするようになりました。小さな楽しみを守る大切さを、このときに学んだような気がします。

妻の病気を知って娘はチック症に

――お嬢さまは当時、6歳だったと伺っています。誰が、どう伝えましたか。
「がんの治療で髪の毛が抜けてしまうこと」「このまま治療しないと死んでしまうこと」「元気になるには娘のサポートが必要なこと」を、娘の反応を見ながら妻から伝えてもらいました。
 どれだけショックを受けるかと思ったら、一番強かったのは娘でした。泣くこともなかったです。でも、しばらくして娘は原因不明の咳をするようになりました。本人の意思とは関係なく突然に体が動いたりすることも。チック症というらしいのですが、小児科に行っても原因はわかりませんでした。このように体は反応していたわけですが、心の中では「ママが死ぬことは、ない」とやさしい気持ちで信じ込んでいるようでした。
――やさしいからこそ強くなれたんですね。つらいことも多かったと思いますが、ご家族の支えになったのはどんなことだったのでしょうか。
 毎年、高尾山に登るのが恒例だったので、「今年も登れた!」と家族で喜んでいたことが一番の思い出です。妻が車椅子生活になっても連れて行き、登れる場所まで私と娘が車椅子を押しました。
 娘がダンスを習い始めると、妻は娘の発表会を心待ちにするようになりました。「発表会を見に行く」という目標ができたので、つらいことも乗り越える気持ちが強くなったようです。
 娘は中学でダンス部に入り、2年生のときに全国大会(団体)で3位になりました。すでに余命を超えていたのに、妻はこの大会を見ることができたのです。
 この4カ月後に妻は亡くなりましたが、お通夜では妻の棺桶の前にダンス部員たちが集まってくれました。娘も含めて全員で、全国3位を取ったときのダンスを踊ってくれたんです。

「やさしいから強くなれたんですね」

AERA編集長片桐圭子
1995年、朝日新聞社入社。『ASAHIパソコン』編集部、『AERA』編集部を経て、朝日新聞社宇都宮総局へ。県警キャップなどを務める。その後、朝日新聞出版の『AERA』編集部に配属。表紙担当として国家元首から国内外のスポーツ選手、俳優、ミュージシャンなどの人選とブッキングに取り組むほか、女性、子育て、働き方、企業から事件まで、幅広く担当。宣伝プロモーション部長を経て、2018年9月1日より現職

「一番強かったのは娘でした」

フリーランスライター、ごく普通の父親桃山 透
1968年、大阪府生まれ。大学卒業後、金融系会社の営業、コピーライター、出版社の編集者、業界新聞の編集長を経て独立。主にビジネス書、実用書、医学書関連の執筆・編集・監修に携わる。得意なジャンルは整理術、手帳術

終わりのないマラソンを家族3人で走り始めた

実は、桃山さんの妻は乳がん治療をいったん終えた。その後すぐ、主治医から肝臓の3分の1ががんに侵されている画像を見せられた。「治るとは思わないでください」と。がん転移の告知だった。「死の宣告を受けたような気持ち」になったという。

――乳がん治療が終わった直後の再発。動揺は大きかったことでしょう。
「ゴールのないマラソンを走ろう」と妻に提案しました。するとお互いいい具合に肩の力が抜けるようになったんです。〝悟りの境地〟といったら大げさですが、悩んでも仕方がないと自然と思えるようになりました。
 この気持ちの切り替えがよかったのか、妻は娘の小学校で行われた「2分の1成人式(10歳)」にも出席できました。
「20歳の姿は見られないだろうから、これを本当の成人式と思うことにする」と妻が言ったことを覚えています。考えてみれば、がんが再発したときに「治療しなければ2カ月もちません」と言われたのです。よくここまで来られたなと、感慨深いものがありました。

「前だけを向いて」妻の遺言を守る

――ご家族での闘病について書いたウェブ連載が反響を呼んで、本になったんですよね。それも見届けて、奥さまは亡くなられたんですね。
 はい、亡くなったときはとてつもない喪失感を覚えました。お金で苦労をかけたな、最期までの10日間はもっと家族の時間をつくればよかったなと、後悔もしました。
「私が死んでも、前だけを向いて生きて」が妻の遺言でしたので、前を向かなければという気持ちだけは強かったです。
――お嬢さまは高校1年生になられたんですね。お父さまの目から見て、どんなお子さんですか。
 精神的に強い子に育ちました。くよくよすることは一切ありません。ダンス部の強豪校に進学し、全国大会で優勝することを目指しています。
 思春期のせいか反抗的なところもありますが、娘にはいろんなことが相談できます。妻の代わりをしてもらっている面があるかもしれません。


最後はお金との戦い保険が心の支えになった

闘病中は必死になって働いた桃山さん。フリーの執筆業なので収入は不安定だが「月に手取りで40万円は稼がなければ赤字」ということだけは意識していたという。

がん保険の加入は心の支えにもなる

――闘病には思った以上にお金がかかったそうですが、医療費の自己負担には上限がありますよね。具体的には、何にお金がかかったのでしょうか。
 高額療養費制度のおかげで自己負担額は月4万4400円でしたが、とりあえず現金が必要な局面がかなりありました。
 亡くなる年の5月から妻は車椅子生活でしたが、この時期は通院費やケア代などだけで月6万円はかかっていました。これが一番の出費でしたね。
 たとえば通院のタクシー代が1回につき往復で約2000円かかります。むくみ軽減ソックスやサプリメント、大人用オムツなどを買いに月10回はドラッグストアに行きましたが、1回あたりの購入金額は2000~5000円でした。
――お話を伺うとやはり、がん検診の受診と保険での備えが欠かせませんね。
 40歳以上の人は自治体が実施する乳がん検診を受けてください。40歳未満の人でも乳がんが気になったら検診を。
 闘病にはお金がかかります。愛があってもお金がなければ無力なことは多いと痛感しましたので、家計を圧迫しすぎない程度の保険に入っておくことをおすすめしたい。少しでも保険金があると心の支えにもなります。
 残念ながら妻は亡くなりましたが、死亡保険金がおりたため、娘を私立のダンス部強豪高校に通わせることができました。保険金がなければ借金返済の日々でしたし、娘も進学の夢をあきらめなければなりませんでした。みなさんも万が一に備えてほしいです。

MOMOYAMA FAMILY RECORDS

  • 2011年
    妻、乳がんと診断される 妻41歳、夫43歳、娘6歳ー6カ月の抗がん剤治療
  • 2012年
    右乳房全摘出手術
  • 2013年
    ー1年間の抗がん剤治療 ー治療が終わってすぐに再発の連絡 がんが肝臓に転移
  • 2018年
    妻、他界 妻48歳、夫50歳、娘13歳
  • 横浜に行ったときの写真で、娘は小学1年生。妻が歩ける時間もまだ長めだった
  • 正月、近所の神社へお参りに。小さくて人けのない神社だったが、「近所の神様に守ってもらおう」と
  • 娘が小学2年生の冬に、遺影を兼ねて写真館で撮影。遺影を撮ると長生きするという言い伝えがあると聞き、すがるような気持ちだった。娘の一番のお気に入りの写真
  • 大好きな高尾山に行ったとき、ケーブルカーの中で撮った写真。毎年、家族で登るのが恒例だった
  • 妻が亡くなる4カ月前、2018年夏の全国中学校ダンス大会で娘がもらった銅メダル。車椅子でタクシーに乗り、会場に向かった。4位との差が300点満点でわずか1点。このときだけは「神は存在する」と思えた
  • 妻が亡くなって3カ月後、ダンススクールの発表会に出た娘。スクールのママたちがサポートしてくれた。父としては、娘のたくましさを感じた
  • 妻の得意だったメニューのうち、今でも桃山さんがよく作るのはキーマカレー。隠し味は、大さじ1杯のオイスターソースとチューブにんにく4センチだ
←妻の闘病と娘に関するウェブ連載が2016年、一冊の本になった(プレジデント社)。この本を持って妻は天国へ旅立った

はたらくささえプラス

知っておきたい。あなたのために、家族のために 乳がんの基本Q&A

何歳から乳がんになりやすい?

 50代、60代の罹患率が高い傾向にある。しかし「乳がんになりやすい年齢の最新調査」のグラフを見ると、30代以降の罹患率が急上昇している。乳がんの5~10%は遺伝性であるといわれているので、何歳から乳がんになりやすいとは一概に言えないだろう。
 厚生労働省の「2019年人口動態統計(概数)」によると、女性全体の部位別がん死亡数で乳がんは5位だが、乳がんによる死亡率は23・4%で年々上昇。乳がんで年間1万4838人(人口10万対)が亡くなっており、一生のうちにおよそ10人にひとりが乳がんと診断されている。若いから乳がんにならないという思い込みは捨てよう。

乳がんの治療の流れは?完治する?

 治療の流れや完治までの期間は、乳がんのステージや発生部位などによって違ってくる。
 たとえば「しこりが大きい」場合、状況によっては術前に抗がん剤、もしくはホルモン療法を行うことから始めて、小さくなってから手術をする。
 手術は「乳房温存術」か「乳房切除術」で行われることが多いが、その前に脇の下のセンチネルリンパ節の生検を行うのが一般的である。ここに転移が見つかったら、併せてリンパ節も切除する場合がある。
 術後は経過に応じて抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法、分子標的薬治療を組み合わせた治療が行われる。
 基本的に治療期間は術後5年とされているが、「再発のリスクを考えて念のため10年」かかるケースも珍しくない。
 なお、治療中は妊娠することができないのが一般的だ。出産をあきらめたくない場合は、治療開始前後に「妊孕性温存 (受精卵などの凍結/自費診療)という選択をすることができる。将来的な出産に希望をつなげておきたいのなら、医師に相談してみよう。

乳がん検診ってみんな受けてるの?

 最新データを見てみよう。厚生労働省の「2019年 国民生活基礎調査の概況」によると、過去2年間の40歳から69歳の人(入院者を除く)の乳がん検診率は47・4%で、以前よりは増加傾向にある。
 乳がんの検診率はほかの部位の検診率よりも高い数字となっているが、そもそも乳がんになる人も増加し続けている。47%台は「検診する人が多い」と喜べる数字ではない。世界的に見ても日本の検診率は低い。なお、厚生労働省の「第3期がん対策推進基本計画」では、がん検診の受診率の当面の目標値は2022年までに50%となっている。今後のさらなる伸びが期待される。

乳がん検診はどこで受けられる?

 多くの自治体や企業で実施される健康診断や医療機関で受けられる。
 自治体の場合、40歳以上なら無料のことも多く、2年に1回の頻度で実施されている。会社員が受けられる職域検診の場合、年1回のがん検診に乳がん検査が含まれていることもある。対象年齢は企業によって異なる。
 実施年齢外や20〜30代の人は月1回の自己検診をしておこう。インターネットで「乳がん セルフチェック」などで検索すると、方法がわかる。自己検診で気になることがあれば、すぐに自費での乳がん検診を受けることをおすすめする。

乳がん検診はどれくらいの頻度で受けたらいい?

 基本的に40歳以降の人は、多くの自治体で2年に1回実施されている「マンモグラフィ」を伴う乳がん検診を受ければいいだろう。
 乳腺にトラブルがあるなど、気になる症状が見つかった場合は、検診した医師のアドバイスによって、今後の検診の頻度を決めるといい。
 また、入浴中や月1回のセルフチェックで「しこりがある」など気になることがあった場合は、自費にはなるがすぐに医療機関での乳がん検診を受けよう。早ければ早いほどいい。
 乳がんは早期に見つかった場合、90%以上は治るといわれている。過度に怖がる必要はない。

乳がんの治療費、健保でどの程度まかなえる?

 検査、手術、薬物治療、放射線治療といった標準的な治療は保険診療となる。それでも1カ月の自己負担額が数十万円になることは珍しくない。
 その場合に適用されるのが「高額療養費制度」だ。この制度を利用すれば、1日から末日までの1カ月間にかかった医療費が一定額を超えると、超えた分を払い戻してもらえる。ただし同じ月の合算なので、月をまたいだものは合算できない。逆に、同じ月に手術と入院をすると、より多くの額が戻ってくることも。
 高額療養費制度は国民健康保険など公的医療保険の加入者なら誰でも利用できる。対象は保険適用のすべての医療費。直近の12カ月で3回支給を受けると、4回目以降はさらに減額される。
 自己負担の限度額は年収により変わる(左上の表参照)。同じ月にかかった保険適用の医療費は、同じ公的医療保険に加入している世帯員なら患者が違っても合算できる。
 確実に限度額を超えると思われるときは、加入している公的医療保険の窓口で事前に「限度額適用認定証」を申請しよう。病院での支払時に提出すれば、最初から限度額以上を払わずに済む。
 発行が間に合わずにいったん全額支払うことになっても、約3カ月後に限度額を超えて支払った分は戻る。なお70歳以上の人は一部の例外を除き、認定証がなくても限度額までの支払いでOKだ。

フコク生命
はたらくささえプラス
提供/富国生命保険相互会社