蟹江憲史さん
慶應義塾大学大学院教授
かにえ・のりちか/慶應義塾大学SFC研究所xSDG・ラボ代表。国連大学サステイナビリティ高等研究所非常勤教授、政府SDGs推進円卓会議構成員。近著に『SDGs(持続可能な開発目標)』(中央公論新社)など。
「新型コロナウイルスのパンデミックによって、SDGsを取り巻く環境は一変しました」。蟹江憲史教授はこう懸念を示す。
「コロナ禍では、感染対策として人やモノの移動が制限され、経済や社会生活に打撃を与えた。国連の報告書では、世界の貧困者数が過去20年で初めて上昇に転じたとするなど、その影響は深刻だ。雇用や暮らしが脅かされ、SNS上では感染者を誹謗中傷する動きも見られた。さらに、日本では夏の豪雨災害や酷暑などの異常気象も重なり、複合的な問題を生み出している。
「貧困や格差、気候変動など社会に潜在していたゆがみが、コロナ禍の危機によって浮き彫りにされました。ここで表面化した課題は、SDGsで解決を目指しているゴールとも一致しています。それだけに対策が不十分で被害が起きたことは悔やまれます。重要なのは、同じ失敗を繰り返さないこと。ポストコロナの時代を見据え、今こそ"持続可能な新しい行動様式"を描けるかどうかが問われています」と力を込める。
「そもそもSDGsとは、貧困や飢餓の撲滅、気候変動への対応、男女平等や格差の是正など地球が直面する課題と向き合い、目指すべき「17のゴール」を掲げたものだ。2030年までの実現に向けて国際社会が動き出している。
「SDGsが示すのは、新しい未来のカタチです。国際社会が協調して危機を乗り越えるために、"ルール"ではなく"目標"を定めたのが特徴。理想の未来に到達するには、ひるがえって今どんな行動が必要なのか──SDGsはその答えを、国や企業、市民一人ひとりの自由な発想と創造性に委ねています」
「新しい未来をどう描くか──。そんな活動が本格化しようとした矢先に、コロナ危機が発生してしまった。
日本でSDGsの周知は確実に進んでいる。顕著なのが民間企業だ。2017年に経団連が行動憲章にSDGsを盛り込むなど、持続可能性の視点を事業活動に取り入れることはスタンダードになりつつある。今年の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の調査で、上場企業のSDGsの認知度がほぼ100%になったことはその表れといえる。
消費者の意識の変化も、経済界のSDGsを後押しする。日常生活の中で、同じ買い物なら少しでも「良いこと」につながる商品を選ぼう、身近な行動の先にある自然や人々を意識しようという流れが生まれてきていた。「特に若い世代を中心にSDGsへの関心が高まっています。持続可能性という言葉がこれほど注目を集め、また身近になった時代はこれまでなかったでしょう」と蟹江教授は話す。
「これはコミュニケーションを重視したSDGsの成果でもあります。ただし、言葉が広まっただけではゴールには至りません。ヨーロッパでは、市民レベルではSDGsという言葉を知らない人が多いですが、多くの人が環境や人権を意識した行動を自然に取り入れています。コロナ禍を乗り越え、2030年までを『行動の10年』とできるか。これからが日本の正念場です」
地球が直面する課題を乗り越える羅針盤
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)は、2015年9月の国連サミットで193の国連加盟国の全会一致で採択された国際目標。持続可能な社会を実現するために、2030年までに達成すべき17のゴール(目標)と169のターゲットから構成されている。
では、現在までの日本の取り組みは世界でどのように評価されているのだろうか。ドイツのベルテルスマン財団が発表しているSDGs達成状況ランキングによると、2020年の日本の順位は前年より2位落とした17位となった。具体的な評価をみると、「ゴール4:質の高い教育」「ゴール9:レジリエントなインフラの整備」などの評価が高い一方で、「ゴール5:ジェンダー平等」「ゴール13:気候変動」「ゴール14:海洋の自然保護」「ゴール15:陸上の自然保護」「ゴール17:パートナーシップ」は取り組み不足が指摘され、赤信号がともっている。
評価を蟹江教授は「日本の課題を非常に端的に表現したもの」と受け止める。一方で、「指摘を受けた分野でも、いくつかは解決に向けた取り組みが始まっています」と話す。例えば「ゴール13:気候変動」でいえば、自治体が独自に再生可能エネルギーを電源とする電気を販売する地域会社を立ち上げたり、環境に優しい新交通システムを導入したりと、独自色のある取り組みが動き出している。また「ゴール17:パートナーシップ」では、国だけでなく民間でも、複数のプレーヤーが協働するためのプラットフォームを整備しているところだ。
「一自治体、一企業、一個人では成しえないことも、強みを持ち寄り協力し合うことで可能性は大きく広がります。企業にとっては新たな取引相手を開拓し、ビジネスを大きく成長させるチャンスにもなるでしょう。今、日本に足りていないとされる5項目は、裏返せば、今後さらに大きく飛躍するための機会でもあるのです」
社会や経済が傷つき、コロナ禍からの回復に向けて世界中が道を模索している。「ポストコロナの『新しい行動様式』への転換が迫られる今こそ、政策や事業活動にSDGsを取り入れていく好機です」と蟹江教授は話す。
「人やモノ、情報が高速で行き交い、危機がグローバルで連鎖する時代にあって、自国だけ、自社だけの発展を描いてもうまくはいきません。現在、日本の政策は経済復興に傾いているように見えますが、長期的見地に立ってSDGsを取り入れた行動計画を示すべき時期ではないでしょうか」
ポストコロナをにらみ、産業界は動き出している。経団連はSDGsを軸にビジネスを展開していく姿勢を示し、持続可能性を意識した働き方の見直しや生産体制の検討に入っている。大企業の姿勢は、関連する中小企業も巻き込んでいく。例えば住宅メーカーが資材の調達基準に環境性能の認証を導入すれば、取引先はそれに準じる。その結果、環境に優しい建材の需要が高まれば、誰もがリーズナブルな価格で環境配慮建材を利用しやすくなる。
「さらに新型コロナ対策がSDGsに貢献することも可能です。企業が従業員の密集を防ぐためにリモートワークや在宅勤務を進めれば、そのぶん省オフィス化が進みます。浮いたオフィス費用を、再生可能エネルギーの導入に振り向けることも可能でしょう。これは『ゴール13:気候変動』などに貢献します」
貧困や飢餓の撲滅、環境保護、人権の尊重など、SDGsが描くゴールは大きく、一見すると日常生活は無関係のような印象を受ける。しかし「SDGsを達成するには市民の参加が不可欠」だと蟹江教授は話す。
「一人ひとりの行動が、積もり積もって大きなインパクトをもたらす──その力はマスクや手洗いといった新型コロナ対策を通じて誰もが実感したとおりです。堅苦しく考える必要はありません。1割の変化を意識してみてください。例えばペットボトルの飲み物を購入しているなら、2日に1回はマイボトルのドリンクに変えてみる。今日忘れたなら、明日やってみればいい。だれもがそんな小さな変化を実践することが、地球上の課題となっているマイクロプラスチックごみの削減につながります」
加えて「楽しむことも大事です」という。義務感でやるのではなく「面白い」「ワクワクする」感覚があるからこそ、取り組みが暮らしに根付いていくのだ。すでに国内外でユニークな事例が生まれている。賞味期限切れ間近の食材を一流シェフが調理するレストランが登場したり、ゴミ拾いにゲーム感覚を取り入れたイベントが催されたり──。考え方次第で、できることはどんどん拡大していく。「特に若い世代は面白いことを考えるのがうまい。SDGsは自由な発想が武器になるんです」
感染対策に国際社会の協調が必要なように、ポストコロナの時代に必要なのは、「No One Will be Left Behind(誰一人取り残されない)」というSDGsの理念に他ならない。
「繰り返しになりますが、SDGsのゴールは、ポストコロナに求められる新しい行動様式と一致しています。もちろん、世界を巻き込む変革を起こすのは容易ではありません。けれどさまざまな人が手を取り合い、アイデアを出し合えば不可能ではない──それこそが、SDGsの根幹です。国、自治体、企業、市民がSDGsの視点を持っておくことは、感染症や自然災害などのリスクに打ち勝ち、持続可能な社会をつくる道しるべになるはずです」
SDGsの達成は身近な行動から始まる。自治体、企業、個人がそれぞれの立場からできることはなんだろうか。暮らしを見直し、行動を変えるヒントを紹介する。
- 週に2日は満員電車をやめて、自転車通勤に切り替える
- ネット通販の受け取りは極力置き配
- 魚を買うときは、持続可能な漁業の認証「MSC」をチェック
- 再生可能エネルギーを電源にする電力会社に切り替える
- チケット代金は、銀行窓口はやめてオンラインで支払う
- 形がいびつだったり、ふぞろいな“わけあり野菜”を選ぶ
- 在宅勤務に備え、国産材で作られた良質な椅子を購入
- 不要になった洋服や雑貨はフリマサイトで必要な人へ
- 国際フェアトレード認証を取得し、原材料を適正な価格で調達する
- サプライチェーンを含めて、児童労働や違法鉱物が利用されていないかを管理
- コロナ禍で既存の仕事が減った社員に向けて、スキルアップ研修を行う
- 男女共用トイレの設置など、LGBTへの配慮を浸透させる
- 大規模災害への備えとして、オフグリッドソーラーや蓄電池などの再生可能エネルギーシステムを導入する
- 資金調達では積極的にグリーン債やSDGs債を起債する
- 余った食品があればフードバンクへ寄付する
- 女子高生が主体となった行政参加プログラムを企画し、地域づくりに若い世代や女性の視点を取り入れる
- 放置されていた森林を整備し、間伐材で商品開発をしたり、木質バイオマス資源として活用する
- 住民参加型のごみ分別とリサイクル事業経営を実践し、ごみの処理事業費を抑制し雇用を生み出す
- 公害克服の経験を生かし独自の環境技術やノウハウを海外に普及していく