<PR>

コンビニを継いだ。正解にできるかは自分次第。

人物 ローソンを継ぐこと、継がせること

東京都江戸川区で2店のローソンを
経営する園田さん親子。
世代こそ違えど、抱く理想はどちらも、
「マチの人たちに“家”のように思ってもらえるコンビニ」。
そこには、温かなコミュニケーションが満ちていた。

文/張替裕子(Giraffe Inc.) 写真/深沢次郎
デザイン/スープアップデザインズ 企画・制作/ AERA dot. AD セクション

受け継いだ環境をより高めるのが僕の役目

園田広大さん

「あ、ありましたよ、お客さま!」

「ありがとう、助かったわ」

 明るい声が店内に響いた。商品を探していた年配の客と女性クルーだ。このアットホームな雰囲気のコンビニは、ローソン小松川三丁目店。穏やかな表情で見守る園田史朗さんは、他にローソン松江三丁目店も経営する複数店舗オーナーである。

 もともと史朗さんは、地元・江戸川区に根付いた鮮魚店の生まれ。父の店を兄が継ぎ、次男の史朗さんは分店を切り盛りしていたが、30代半ばとなる頃、転機が訪れる。

「1994年のお正月、近所のダイエーに買い物に行ったんです。そうしたら、まだ築地の市場も開いていないのに、すごく新鮮な魚が並んでいるのに驚いちゃって。調べてみたら、ダイエーは漁場から直接買い付けて販売していた。あぁ、これじゃあ個人商店は勝てないなと。これが時代の流れだと痛感しました」

 それをきっかけにダイエーの創業者である中内功に興味を持ち、著書や関連書籍を片端から読んだという。

「中内さんは、個人商店どころかそのうちスーパーさえもなくなり、残るのはアウトレットとコンビニエンスストアだけだろうと予言をされていた。これはすごい、だったら自分も次の仕事はコンビニのオーナーだと決意しました。何しろ、商売の神様と言われた人ですから」

 ローソンを含め大手コンビニチェーンの説明会に足を運び、どの店のフランチャイズオーナーとなるべきか検討を始めた史朗さん。しかし、心はすぐにローソンへと傾いた。

イメージ

10年、20年と勤務し続けるベテランクルーも少なくないという両店舗。地域の人たちとのコミュニケーションにも長けたクルーは、店の大きな戦力

イメージ イメージ イメージ

年配客が好むパズル雑誌や、まとめ買い用の駄菓子など、地域の特色に沿った品揃えが目を引く小松川三丁目店。読みやすい手書きのポップも人の温もりを感じさせる

人さえ育てば店はちゃんと動いていく

園田史朗さん

「ローソンは店のつくりも制服もシンプルで好感が持てましたし、ローソンの創業者でもある中内さんの考え方は、他と全然違っていました。『商売は“儲ける”ではなく、“儲かる”だ』と。自分も魚屋の頃からお客さまが満足しないかぎり儲けてはいけないというのがポリシーでしたので、とても共感しました」

 折しも説明会の翌月、ローソンの本部から、当時直営店だった平井一丁目店をオーナーとして経営してみないか、という話が舞い込む。こうして史朗さんは、コンビニ経営という未知の仕事に乗り出すことに。1995年、36歳の挑戦だった。

 そんな父親の奮闘にも気付かず部活に明け暮れていたのが、開店当時小学校6年生だった長男の広大さん。

「いらなくなったおでんのメニューシートを下敷きに使って、みんなから羨ましがられましたね。あだ名は“ローソン”でした(笑)」

 両親の苦労も知らぬまま、やがて学生生活を終えて就職。が、その会社が倒産。人生の岐路に立たされる。

「そこで親父が、『だったらオレの後を継げ』と。考えてもみなかったけど、やりたい仕事もないし、『これ以上あがいてもダメだな、まぁ上司が親父なら居心地いいかも』という程度の気持ちで従いました」

 息子の行く末を案じる史朗さんの親心が感じられるが、3番目の出店となった小松川三丁目店を任せたいという気持ちもあったという。とはいえ、未経験の広大さんには戸惑うことも少なくなかったはずだ。

園田さん親子のこれまで

1958年 園田史朗さん、鹿児島県枕崎市に生まれる。
1981年 実家の鮮魚店の分店を任される。
1984年 4月、結婚。
12月、長男広大さん誕生。
以降、3男1女に恵まれる。
1994年 12月、鮮魚店を閉店し、
ローソン平井一丁目店のオーナーとなる。
2011年 ローソン松江三丁目店をオープン
(平井一丁目店は閉店)。
2015年 2号店となるローソン小松川三丁目店をオープン。
広大さん、ローソン松江三丁目店店長に。
イメージ

史朗さんがいつも大切に持ち歩いている開店の頃の家族写真。上が奥様の尚美さん、左の左から2番目が3男1女の長男、広大さん

少子高齢化が進む地元に少しでも役立つ店を

園田史朗さん

史朗さんが抱いているのは次男太朗さんの長男晴生(はるき)くん。「今じゃ楽しみは孫だけ」と語る史朗さんに、「僕も休日は子どもを預けてラクしてます(笑)」と広大さん

「一つだけ言われたのは、クルーさん一人ひとりの顔を思い出しながら給料袋を書け、と。名前を書きながらクルーさんの顔が思い浮かばないようじゃ経営者失格ですよね。それが次第に分かってきました」

 その言葉に込められていたのは、オーナーとクルーの関係性の大切さ。史朗さんはこう話す。

「コンビニのオーナーは人とモノとお金の管理が仕事。特に、人という部分ではクルーさんとの関係が一番大事です。お客さまと直接向き合うクルーさんさえ育ってくれれば、お客さまにも満足していただけて、店がちゃんと動いていくんです」

 今では20年選手となるクルーが何人もいるという両店舗。史朗さんが育んできた環境を受け継いだ広大さんも、「その環境を僕なりの考えで、クルーさんがより働きやすいものになるよう改善していくのが僕の役目」と力強く語る。

 その一方で二人が同様に大切にしているのが、ローソン本部とのコミュニケーションだ。実は、1号店である平井一丁目店は、オーナーとなった数年後、道路拡張のための住民の立ち退きで売り上げが激減。その時本部から提案されたのが、代替として近隣の直営店である松江三丁目店を経営するという救済策だった。業績不振の中で必死に努力する史朗さんの姿を本部は見ていたのだ。広大さんは言う。

「その話を後から聞き、ローソン本部とオーナーとの距離の近さを実感しました。僕も担当スーパーバイザーとはすぐに仲良くなっちゃいますし、地域のオーナーと本部が意見交換するエリア会にも積極的に参加しています。その関係性があるから、相談事もすぐできるし、困った時に手を貸してもらえるんだと思います」

 最後に、自分たちが目指すローソンの姿を二人に訊いてみた。

「お客さまは神さまではなく、家族。自分の家だと思ってもらえるコンビニが僕の理想です」(広大さん)

「お年寄りの愚痴を聞いてあげたり、いたずらな子どもたちを叱ったり。少子高齢化が進む地域のコンビニとして、町内のうるさい親父の家のようになれたらと思いますね」(史朗さん)

 親と子、どちらも店にこめた想いは同じ。現代に失われつつある“マチのコミュニケーション”が、この二つのローソンにあった。

イメージ
イメージ

「コンビニが飽和しつつある時代だからこそ、既存店の質をより充実させることが大切。ローソンもそこに力を入れていると感じます」(広大さん)

ローソンカスタマーセンター0120-07-3963月曜~金曜(祝祭日除く) 9:00〜17:00