『柔術狂時代――20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』
朝日選書より発売中

 僕が初めて海外で出版された柔術教本に出合ったのは、修士(博士前期課程)の2年のときだった。読んだのは、K・サイトウという正体不明の人物が1905年にアメリカで著した『柔術の技法』(Jiu Jitsu Tricks)である。

 一読してジワジワと笑いが込み上げてきた。この教本の紙幅の大半は技の図解に費やされているが、そのいずれもがとにかく変なのだ。極めつきは、OSAKAと染め抜かれた法被を着た、妙に濃い顔をしたおじさん2人が、なぜかカメラ目線で互いの襟を取り合う、という構図の写真である。僕は思わず心の中で叫んだ。「こっち見んな!」

 いったい100年以上も昔のアメリカで何があったのだろう。続けざま、今度はフランスで出版されたという別の柔術教本を手に取った。表紙をめくって1枚目。そこには、上半身裸でマッスルポーズを決めるガイジンのポートレートが載っていた。写真のキャプションには「柔術マスター」とある。そのギャップに僕の腹筋は崩壊し、腰は砕けた。

 その後、英米仏を中心に世界各国の柔術教本を漁るようになり、どうやら日露戦争期の海外では巨大な柔術ブームがあったことや、当時は圧倒的に柔道より柔術の知名度のほうが高かったことを知った。その内実について、20世紀初頭のアメリカを舞台に論じたのが『柔術狂時代』である。

 それにしても、柔術教本が放つ怪しい魅力の正体とは何なのだろう。思うに、これらは私たちが知らない場所と時間に誕生していた、もうひとつの柔術の姿である。前世紀転換期に海を渡った柔術は、あっという間に教本という名の商品になった。そうであるがゆえに、消費を促す過剰な仕掛けが施される。健康増進法やエクササイズとしての効果がこれでもかと謳われるかと思えば、むやみやたらとサムライ、サムライと連呼されたりする根底にも、売らんかな、の論理が働いている。

 そして資本主義は無節操にも、愛国心すら商品にする。あるいは、そもそも愛国心と資本主義は相性が良い、というべきだろうか。実のところ、柔術教本の全体を通じて響き渡っているのは、「柔術ってスゴイ!」「日本はスバラシイ!」の大合唱である。

 ところが、このメッセージは簡単に反転する。柔術は教本という商品となり、その商品はアメリカで、さらには世界で大流行した。そのブームを駆動したのは、自らが創り出したイメージとしての柔術と、柔術に投影された日本に向けられた、アンビバレントな感情に他ならない。憧憬と畏怖、友好と敵対、受容と反発、あらゆる二律背反が柔術教本には込められていた。

 それでは、柔術教本=柔術を騙る悪質な「偽書」なのか、といえば、そうとも言い切れない。むしろそれを、実体化した柔術幻想と捉えるほうが面白い。そこには、極端にデフォルメされた日本像が盛り込まれているだけでなく、大衆の様々な欲望や願望が埋め込まれている。

 たとえば柔術教本では、しばしば手刀や巴投げがクローズアップされるが、手刀は一撃で相手を仕留める殺人技として、巴投げは相手を宙に舞わせる魔法のように描かれる。あるいは柔術式ダイエット法も教本では多数紹介された。紛れもなく痩身願望の反映である。

 柔術やそれをベースに誕生した柔道、あるいはそれらを含めた武道は、日本で育まれた豊かな文化だ。だから私たちが武道に格別の想いを抱くのは自然なことだろう。しかし、あまりにもこだわりが強すぎると、海の向こうで誕生した武道の変種を全否定してしまう。「そんな武道は間違っている!」と。

 日本の「野球」がアメリカン・ベースボールのクローンではなく、世界を席巻するSushiが往々にして「寿司」とは似て非なるように、日本伝の柔術と海外産のJiu-Jitsuも完全には重ならない。そこが面白い。しかめっ面で間違い探しをして独り言ちるよりも、興味津々でその秘密に迫る方がずっと楽しい。

『柔術狂時代』で筆者が目指したのは、アメリカにおける柔術ブームの発生から終焉に至る過程について、その理由や背景と共に論じることだった。また、流行の国際的同時代性を示すために、アメリカ以外の国々の状況もいくつか紹介した。当時の西洋世界を席巻していた独特のフィットネス文化と柔術の関係や、柔術対レスリングの異種格闘技試合の模様も収めている。新天地で奮闘する柔道家たちの姿や、講道館の長であった嘉納治五郎の思惑も描いた。

 柔術は、視角によって姿を変える。その変化の妙と、奇怪な容貌の裡に潜む独特の面白味を、少しでも味わって頂ければ幸いである。