「へんな生き物の授業」というこの本のタイトルの原案が出てきた際、筆者の研究室に所属する学生の何人かに原稿を見てもらった上で率直にどう思うかを尋ねた。そこで出てきた意見に、

「自分でへんという奴は信用できない」
というものや、

「へんな生き物の紹介ではなく、生き物の見方を変えた話なのでは?」

 というものがあった。さすが「へん」を地で行くとか、「群れない」と言われる京大生。不必要に筆者を持ち上げない姿勢はあっぱれである。特に後者の博士課程の学生は、本書の本質をついた意見をくれた。

 しかし、その意見を踏まえて再考した上で、あえて「へんな」を残してみた。一応、一般的に見て「へんかもしれないな」と思う生き物の話題も含めて書いているからだ。

 例えば、光合成というのは光のエネルギーを使って生きる便利な生き方であり、様々な生き物が光合成をして生きている。その一方で、そんな便利な生き方を手にしきれていない「おしい」生き物や光合成することをやめて人間の寄生虫として生きているものがいる。

 変装を繰り返す寄生虫の話や単細胞の性の話。他の微生物が作る物質がないと成長できないアオノリの仲間や雲の素を作る微生物など、一般的にはへんかもしれない微生物同士の関係性も盛り込んだ。「へんな」生き物のネタは尽きることがないのだ。

 しかし、最後までお読みいただいた方々には、気づいてもらえると期待している。本書に書いた「へんな」生き物たちが、決して「へんな」生き物ではないことを。

 何が言いたいかというと「みんなへんじゃん」ということである。

 皆、少しずつ、もしくは大きく違うからだ。まったく同じ生き物は存在しない。姿も多少違いはあるし、ゲノムという設計図レベルで見ればもっと違いはあるかもしれない。という意味では、へんじゃない生き物を探す方が大変なのである。

「へんな」生き物の話を読み進めた結果、一周回って「みんな別にへんじゃない」ことに読者の方々にお気づき頂ければ筆者としては最高の気分である。